四旬節
四旬節は、灰の水曜日から始まり、聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサの直前までです。
灰の水曜日をもって、典礼暦年(教会カレンダー)では、四旬節に入りますが、灰の水曜日は、復活祭の前の日曜日を除く40日前になります(実質は、46日間)。
注)灰の水曜日 復活の主日の46日前の水曜日。典礼は、灰の水曜日から四旬節に入ります。イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことにならい、教会生活の伝統では断食、節制が行われてきました。聖書において40の数字は、試練(神の計画が実現するまでの準備の期間)の時を表します。
また、復活祭(イースター)は、クリスマスのように毎年同じ日ではなく、その年の春分の次の満月のすぐ後の日曜日。と定められています。3月22日~4月25日の期間を移動する、移動祝祭日です。
四旬節はもともと、洗礼の準備期間でした。復活徹夜祭に 新しく洗礼を受ける洗礼志願者の準備として、イエスが公生活のはじめに砂漠で40日断食をされたことにならい、40日の祈りと節制をする期間としてはじめられたものです。やがて、すでに洗礼を受けた人も洗礼を受けた時の志を もう一度新たにするために、全教会で行われるようになりました。
8世紀ころの教会では、もっぱら節制の期間と考えられていましたが、第2バチカン公会議は、洗礼準備期として再度取り上げ、四旬節に読まれる聖書朗読と典礼は、洗礼志願者の教育に向けたものにしました。四旬節は、キリストの死から復活への過越の神秘にあずかる信仰を確認する時なのです。
四旬節の典礼によって、洗礼志願者はキリスト教入信の初段階をとおして、すでに洗礼を受けた信徒は、洗礼の記念と償いの業をとおして、過越の神秘の祭儀にそなえます。カトリック教会は、四旬節の心を大切にしながら、この40日をすごすように勧めています。
四旬節における聖書朗読
四句節の聖書朗読は、次のように配分されています。
主日においての福音朗読は、第1主日と第2主日には主の試みと変容の記事が読まれ、しかも3つの共観福音書によって朗読されます。
続く3つの主日において、A年では、サマリアの婦人、生来の盲人、ラザロの復活についての福音が読まれます。これらの福音はキリスト教入信にとってとても重要です。そのため、洗礼志願者がいる場合には、B年とC年にも、それらを用いることができます。
通常、B年には十字架と復活によるキリストの未来の栄光についてのヨハネ福音書、C年には、回心についてのルカ福音書が用いられます。
第1朗読における旧約聖書の朗読は、四旬節固有のテーマのひとつである救いの歴史に関連しています。毎年、その歴史のおもな要点を含む一連の箇所が選ばれています。ですから、この時期には旧約聖書と親しむ機会にすることをお勧めします。
第2朗読では、福音朗読と旧約聖書の朗読にできるだけ呼応した使徒書が選ばれています。
四旬節の週日において
福音と旧約聖書からの朗読は、相互に関係のあるものが選ばれています。この季節のテーマにそった聖書朗読は、非常にゆたかなものとしてくれます。
第4週の月曜日以降においては、ヨハネ福音書の準継続朗読が行われ、四旬節の特徴にいっそうよくあった福音が朗読されます。その中で、サマリアの女性、生来の盲人、そしてラザロの復活についての朗読は、A年の主日に読まれているので、他の年には週日にも採用することができるように考慮されています。
聖書はいつも私たちを養ってくれますが、この時期に日々、典礼にそってみ言葉を読んでいくなら、毎日が非常に豊かなみ言葉に活かされた日々となるでしょう。同時に、四旬節に旧約聖書に親しむのを助ける本を読むことは、救いの歴史の展開について理解するのを助けます。
ラテン語のクワドラジェジマ(Quadragesima:四旬節)の40という日数の象徴的原型は、まさにこのイエスの40日の体験にあるのです。40という数は、旧約の時代からすでに象徴的な意味をもっていましたが、キリスト者はキリストの断食と祈りに倣いたいという思いから自然にキリスト者の中におこってきたものです。
キリスト教国でない日本では、四旬節のはじめである灰の水曜日と主の受難(聖金曜日)を、大斎(だいさい)・小斎(しょうさい)の日と定めています。大斎や小斎は、自分の心を神や人々にささげることのしるしです。四旬節にはことにその精神で生きたいものです。
洗礼の準備
回心と罪の償いという性格をもっています。教会は3世紀ごろから四旬節を洗礼準備の季節としてきました。この期間、洗礼志願者だけでなく、全教会の信徒たちが志願者たちのために祈り、また自分たちの洗礼の時を思い起こし、洗礼の約束を更新する準備をします。教会は、この期間を、なによりも主イエスの受難と死を思い起こし、救いの「時」の中心に向かって、回心と償いの期間として過ごします。この期間に、教会は、私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)を呼びかけています。
今日行われる「灰の式」は、「土から出て土に帰っていく私たちが、四旬節の努めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活されたおん子の姿にあやかることができるように」願って、昨年枝の主日に祝福していただいた、棕櫚(しゅろ)やオリーブの枝を燃やした灰を司祭は一人ひとりの額にかける式も行われます。灰をうけた私たちは自分に頼るのではなく、回心を呼びかけておられる神に信頼して生きることができるように嘆願します。
注)なお、日本料理とされている「天ぷら」は、諸説ありますが、キリシタン時代(室町時代・戦国時代)にスペインやポルトガルの宣教師らによって伝えられた、四旬節に食する質素な食べ物(肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に小麦粉で衣をつけて揚げた料理)である「テンプロ(tenplo、スペイン語)、テンペロ(tempero、ポルトガル語)」が"南蛮料理"として紹介され広がったとの説があります。