2023年 年頭書簡
カトリック仙台教区 教区長
司教 ガクタン エドガル
「テモテの母エウニケにならって信仰を伝え、異文化の人と共に生きる」
主があなたを祝福し、
あなたを守られるように。
主が御顔を向けて
あなたを照らし
あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて
あなたに平安を賜るように。 (民数記6:24-26)
1月1日、神の母聖マリアの祭日の第一朗読より
親愛なる兄弟姉妹の皆さま
新年のご挨拶を申し上げます。本日、みことばで呼び起こされた神さまの豊かな祝福が皆さまのうえにありますように。
昨年12月11日、私は待降節第二主日のミサを気仙沼教会の共同体と祝いました。一番若い参加者は7歳の女の子でした。彼女は私にとってニューフェースの一人でした。ミサの後、私は以前この子に会ったことがあることを知らされました。洗礼台帳を確認したところ、2015年12月27日、聖家族の祝日に、この教会で私が彼女に洗礼を授けていたのです。彼女のお母さんは私と同じくフィリピン出身で、お父さんは日本人です。このお父さんは彼女が洗礼を受けることに同意していました。時間があるとき、お父さんは今でも母娘を車で教会まで送ってくれています。
妻と子どもを連れて教会に行き、ミサ後、迎えに来たり、あるいは、教会の駐車場に停めた車の中で、 ミサが終わるのを待つたりする夫の姿は、わりと見慣れた光景であると思います。最近では、そのような夫が、もう外でミサが終わるのを待たないという話を聞きました。自分自身が洗礼を受けたくて、その準備のためにミサに参加するのだそうです。
仙台司教に着座以来、私はほとんど毎日曜日を少なくとも一つの小教区共同体と一緒に過ごしています。この司牧訪間によって、私は自分の目で小教区の状況をわずかながら見ることができましたし、自分の耳で何人かの希望や心配を聞くこともできました。また、多くの方からは、私がこの親愛なる仙台教区に対して何を思い描いているのかと尋ねられました。私の短い答えはこうです。「家族になりましょう。」
仙台教区と私の関係を恋愛に例えてみたいと思います。私たちの出会いは、2011年3月11日の震災を通してです。その出会いは、親密な関係へと開花しました。しかし、わたしの2017年4月の東京異動を機に、その関係は解消されたと思つていました。ただ、仙台を離れてからも、いつか戻ってきたいという希望をずっと抱いていました。まさか、カトリック仙台教区の司教として、このような形で戻ってくるとは思ってもみませんでした。私たちの関係は、出会い、恋に落ち、別れ、再会という段階を経てきました。私は今、仙台教区といわば結婚しています。そして、その家族を担っています。いうまでもなく、この家族のメンバーの一人ひとりはユニークな存在です。
仙台教区は52の小教区があります(『カトリック教会情報ハンドブック2023』参照)。これらの小教区を「家庭」と呼ぶことにしましょう。家庭の多くは小規模です。私たちは、新たな「親戚」が入ってきてくれることを、どんなに願っていることでしょう。2011年3月11日以降、実際に、新たな「親戚」が入ってきています。これら「親戚」の多くは、海外にルーツを持っており、長年、近所に住んでいました。「東日本大震災」の揺れは、物理的な構造物だけでなく、目に見えない壁をも破壊しました。それは、親戚が家に来ることを阻んでいた壁です。私たちは震災によってありのままの一人の人間となり、一つに結ばれていきました。そうです、このときに生まれた「絆」は、私たちは身内なのだということを明らかにしたのです。
私たちキリスト者は、こうした関係を「兄弟姉妹」と言います。私たちが「兄弟姉妹」であるのは、恵みによって結ばれたからです。主イエス・キリストは、「わたしたちの父よ」との呼びかけで始まる、あの「主の祈り」を教えてくださいました。わたしの前任者である平賀司教は、2011年以降、多くのメッセージで、私たちが聖霊によって新たに創造されることへの信仰と希望を表明されました。改めて、私はその信仰と希望を表明します。私たちの主イエス・キリストの道を共に歩むとき、聖霊は私たちを新しくしてくださいます。
2014年の年頭書簡で、平賀司教は、地区制による仙台教区の新しい旅のあり方を発表されました。その年の4月に旅が開始されました。私はこの旅の始まりに関わっていました。また、他教区での経験もあります。教区での担当経験および海外の状況を学ぶ中で見えてきたものがあります。司祭が少ない、町が寂れている、信者の減少と高齢化、移住者の流入など、どこも似たような状況に直面しているということです。仙台教区で「地区制」と呼んでいるものは、国内外の他の教区では「ブロック」「協力体」等、さまざまな名称で呼ばれています。
昨年、仙台教区で働く司祭が数回、集まり、8年目を迎えた地区制などについて話し合いました。この集まりが始まる前に、私の元には、司祭と信徒の協力やコミュニケーションをもっと増やしてほしいという希望の声が届いていました。その声を念頭に、私は昨年の司牧者の集まりに参加しました。昨年12月13日、14日には、司祭たち(24人)がカテドラル元寺小路教会に集まり、積み重ねた話し合いの結果を調整しました。とても充実した話し合いができました。神のものであ・る仙台家族をどのようにケアしていくかについて、私たちが合意したことをお話しします。教区の再編成と新たな出発についてです。今年度、現在の8地区を5地区に縮小し、これらの地区の小教区は、グループ分けして「ブロック」になる予定です。一つの「ブロック」は、一人ないし二人の司祭で担当することになります。
「ブロック」に派遣される司祭は、家庭の責任者だと考えてみてください。私たちの家族を養い育てるのはミサです。普段、私たちは週のはじめの日である「日曜日」に、主日のミサを行っています。しかし、司祭の身体状況やブロックの距離感のため、今後も、主日のミサを土曜日の晩に行う可能性が出てくるでしょうし、司祭不在の集会祭儀が行われることもあるでしょう。それについて、どうか話し合ってください。家庭には家族会議があります。小教区の教会委員会等は、いわば家庭の課題を話し合う場です。私たち司祭は、かつての主任司祭が「一国一城の主」という傾向を持っていたことを意識していました。そのために、これまでは「主任司祭」という肩書きを使わず、地区に「担当司祭」が派遣されていました。しかし、「主任司祭」がいないことに対して、いつ、どの司祭が担当に当たるのか分からないでいる、という困惑の声もありました。そして、司祭が複数の小教区をミサのために巡り、教会委員会の会議に参加しても、「司祭は投票の際の一票」に過ぎないという考え方までも生まれてしまいました。誰が決められたことの責任者なのかと問われたこともあります。家庭の責任者は担当司祭です。ただし、家庭のメンバーが一緒になってものごとを話し合いで決めていってほしいと希望します。小教区あるいは「ブロック」の集まりの中で、家庭のメンバーが一緒になって、父である神の導きに信頼し、共に祈りながら、夢や悩み、希望について話し合っていくことを期待します。
昨年、気仙沼教会で7年ぶりに再会した親子の話に戻ります。女の子の洗礼名はユーニスです。洗礼準備の時、名前の由来をご両親と話したことを覚えています。聖書の中ではエウニケと書かれています。エウニケは、聖パウロの協力者であるテモテの母親です。聖パウロは、我が子のようなテモテの信仰がその生い立ちに由来していると言います。「あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています」(聖パウロのテモテヘの手紙 二1:3-5)。
使徒言行録(16:1)ではテモテの母親が無名ですが、彼女はユダヤ教に関係なく、故郷リストラで評判の良いギリシャ人と結婚したことが書かれています。つまり、彼女は家庭の中で自分の家族に信仰を伝えるだけでなく、異文化の真っただ中で人を区別することなく共に生きた人です。私は彼女のうちにこれからの仙台教区の私たちの模範を見いだします。
兄弟姉妹の皆さま、私たち一人ひとりもさまざまな道を通って、神の家族にたどりつきました。私たちにも、きっとテモテにとってのエウニケのような人がいたでしょう。私たちをこの神の家族に導いてくれた同伴者を神が与えてくださったことに感謝しましょう。そして、私たちも誰かにとってのエウニケになれるよう願って、新年の挨拶とします。
ガクタン エドガル
(洗礼名パテルノ)
2023年1月1日
神の母聖マリアの祭日