「王であるキリスト」と「死者の月」について
「王であるキリスト」
典礼暦年最後の主日です。この日、教会は「王であるキリスト」を祝います。この祭日は、1925年に、教皇ピオ11世が回勅をもって、「王であるキリスト」の祝日が定めたものです。時代はまさに、ドイツではヒットラー、イタリアではムッソリーニ、ソビエトではスターリンと独裁体制を固めているところでした。
教会は、終末主日に世の終わりについて考察してきました。今日、この祭日を祝って、世の終わりが滅びの時ではなく、神の国の完成の時であること、キリストが宇宙の支配者であること、この王であるキリストが再び来てくださる喜びの時であることを祝います。こうして典礼サイクルを終え、次週から新しい典礼暦年がはじまります。
「王」とは、王政に生きたことのない私たちには分かりにくいイメージなのかもしれませんが、王はもともと「メシア」つまり、神に選ばれて油を注がれ、王とされたという意味です。新約聖書では、これを忠実に訳して「キリスト」と呼びます。私たちに親しい「キリスト」という名は、イエスこそ真の意味で王であるということなのです。
聖書的な言葉、思想は、「聖書思想辞典」のようなもので調べていくと、個人のもっているイメージを広げてくれ、聖書を読むうえにも大きな助けとなります。
ダニエル書は、1、2部からなっています。
第1部(1~6章)は、物語形式で書かれ、ダニエルは3人称で記されています。第2部(7~13章)は、預言の部分で、ダニエルは、1人称で記されています。
今日読まれるのは、この第2部の導入部で、人の子についての幻です。
『「人の子」のような者が……』と書かれていますが、「人の子」がだれをいったい指すのかについては、いろいろの説があります。福音書では、イエスがご自分を指すときにこの呼称を用いています。
この者に「権威、威光、王権」が授けられ、すべての国の人々は彼に仕え、「彼の支配はとこしえに続く」という預言は、捕囚の民イスラエルにとっては、希望の言葉でした。
ダニエル書では、また、新約聖書に与えた影響は大なるものでした。今日、この書を読む私たちにとっても、今日の預言は力強く響いてくる言葉です。
今日の第2朗読では、新約聖書の最後、「ヨハネの黙示録」の冒頭の部分が読まれます。
「証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」とイエス・キリストの王である姿を表現します。この意味でイエス・キリストは王なのです。ダニエル書に描かれている預言は、イエス・キリストにおいて実現したのです。
また、イエス・キリストは、「御自分の血によって罪から解放してくださった方」であり、ご自分の祭司職に私たちを与らせてくださる事においても王なのです。
この方に「栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン」と今日の朗読は終わります。
この賛美に私たちの賛美をも重ねましょう。
この日、B年においては、ヨハネの福音を読んでいきます。イエスがローマ総督ピラトの前で、ご自分が王であることを宣言する個所です。
ヨハネ福音書は、イエスが人々の王とであることを一貫して伝えています。イエスのご受難の記事に関しても同様です。イエスが王になるのは、神の救いのご計画の完成を意味しています。
J-Bibleで検索してみると、イエスについて「王」と言われている箇所は、16ヒットします。
ヨハネは最初から、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言っています。
イエスは、王としてエルサレムに入城し、ピラトの前で王位を宣言なさいます。この記事が今日読まれるところです。
ピラトのイエスに対する問い、「ユダヤ人の王なのか」に対し、イエスは「わたしの国はこの世に属していない」と言われます。続いて「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と宣言されます。
「わたしの国はこの世に属していない」と2度繰り返して言われているのが印象的です。その後「真理について証しをするために生まれ……」と宣言されます。この点に注目したいです。
イエスがこの世にいる、イエスの存在自体が、使命の目的の宣言です。「ために」という使命を示す語が2回もつけ加えられています。ちなみに、イエスがご自身の出生について語っておられるのは、この個所だけです。
イエスの答え次第で、確実に十字架の道に導くことが分かっているとき、このイエスの宣言は心を打つミッション宣言です。
イエスは十字架の死にいたるまで、父のみ心に徹した方でした。主の祈りで、主の「み国が来ますように」と祈るときに、イエスの声に耳を傾け、イエスの生きられた道を私たちも従っていけるように、祈り求めましょう。
女子パウロ会(聖パウロ女子修道会)公式サイト
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「死者の月」
カトリック教会で行われる通夜の式は「親しい人との別れは、だれにとっても悲しいことです」という招きの言葉で始まりますが、特に身近な人の死を前にして、死という現実を目の当たりにするのはいつの世も同じです。しかしキリストを信じる者にとって死が人生の終わりに思えたとしても、新たな人生の始まりであり、目的である天国への旅立ちであることを信じているからこそ、人の死を素直に見つめ、悲しみの中にも安らぎを覚えるのです。通夜での祈りはそのことを表明します、「キリストは『わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる』と教えられました。別離の悲しみのうちにもわたしたちは、このキリストのことばに慰めと希望を見いだします」(カトリック儀式書「葬儀」)。
このようにキリスト教においては、死いうものが神のみもとに帰り、永遠のいのちにあずかるということですから、亡くなった人の魂が永遠に安らかに憩うように祈りをささげることをかねてから教えてきました。またわたしたちは生者同士の関係だけでなく、生者と死者との連帯関係にあります。故人が天国に入るためにはその霊魂があらゆる罪の汚れから清められ、神のみもとで永遠の幸福にあずかることができるように祈ることによって死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成しをしてくださることを信じるがゆえに、教会はキリスト教の初期時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。
教会の典礼暦で11月2日は「死者の日」とし、亡くなったすべてのキリスト者を記念します。キリスト者の間では2世紀頃から死者のための祈りを唱える習慣が生まれ、次第にミサが伴うようになりました。亡くなったすべてのキリスト者を1年の特定の日に記念することは、7世紀初めにセビーリャの司教イシドルスが、聖霊降臨の祝日の翌日に死者を記念するミサを行なうように指示したことに始るとされています。さらに、諸聖人の祭日(11月1日)の翌日にすべての死者を記念する習慣は、998年にクリュニー修道院院長のオディロンによって始められ、その修道院の修道士たちの影響によって11世紀には広く行なわれるようになりました。ローマ教会には1311年の暦に始めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念日が行われていたと思われます。この記念日は西欧諸国に広まり、15世紀には、スペインのドミニコ修道会で盛んに行なわれ、司祭がこの日に3回のミサをささげるようになったのもこの頃だといわれています。18世紀になる頃には、3回のミサの習慣が世界各地に広まり、1915年に教皇ベネディクト15世がこれをすべての司祭に許可することによって、全教会に広めました。現在はこのような規定はありません。
11月が「死者の月」として定着してきたのがいつからなのか定かではありませんが、死者への思いがミサをはじめとする様々な祈りの形で表され、それが広がりを見せ、伝統・習慣となって次第に死者の月になったと考えられます。
11月2日は「死者の日」
諸聖人の祭日(11月1日)の翌日にすべての死者を記念する習慣は、998年にクリュニー修道院のオディロンによって始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって11世紀には広く行われるようになりました。ローマ教会には1311年の暦に初めて記されていますが、それ以前からローマでも死者の日の記念が行われていたと思われます。 『毎日の読書』より
わたしたちは生者と死者を問わず万人との連帯関係にあり、その連帯関係は聖徒の交わりを土台としています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という意味を持ち、聖徒たちの交わりが、まさに教会なのです。すべての罪はこの交わりを損なうものです。
教会はキリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができるのです。 『カトリック教会のカテキズム』(946、953、958)を参照
カトリック中央協議会HPより