カトリック仙台司教区 Catholic Sendai Diocese

メニューを開く

ニュース

カトリック 仙台教区報 No.265

>English Version

若者‐キリストと教会と共に歩む

仙台教区青少年司牧担当
ロメロ・アルマンド・ツマリワン神父

 

初めて、皆様にご挨拶いたします。私は、ロメロ・アルマンド・ツマリワンと申します。昨年の9月に、所属の修道会「淳心会」から仙台教区に派遣され、第4地区の仙台南部ブロック(一本杉教会と畳屋丁教会)を担当させていただいています。

この度、ガクタン司教様に仙台教区の青少年司牧の担当司祭に任命されました。この任命を恐縮しながら受けました。任命の理由の一つは、43歳のわたしが比較的に若いから任命されたのだと勝手に想像しています。自分の青少年との浅い経験、青少年から直接聞いた喜び・希望・悩み、さらに出会った教会、または教皇のことばの照らしを受けながら、青少年との歩みについて考えていきたいと思います。

皆様のご協力を、ひたすら期待しております。

教会の中で若者たちの姿を見るたびに、私は励ましを受けています。それは、人数が多いからでも、活動が目立つからでもありません。若者がそこにいて、祈り、笑い、時には迷いながらも信仰の道を歩もうとしている。その姿そのものが、「教会は生きている」と私に感じさせてくれるからです。神さまは今も、若い心の中に希望の種をまき続けておられる。

そのことを、彼らは静かに思い出させてくれるのです。

教会の集まりや聖書勉強会、また一緒に食事をする何気ない時間の中で、私はよく『キリストは生きている』の中の教皇フランシスコの言葉を思い出します。「教会には、あなたたちの勢い、直感、そして信仰が必要です」Christus Vivit(CV299)。若者は、ただ将来のために準備されている存在ではありません。今この瞬間にも、教会に新しい息吹を与えている存在です。実際に、多くの教会で若者たちはすでに奉仕し、集まりを準備し、友人を誘い、時には大人たちが見落としていることに気づかせてくれます。

彼らは「いつか教会を担う人」ではなく、すでに今日の教会を一緒につくっている仲間なのだと思います。

若者たちが“教会の中で”生きるということ —居場所としての教会

 今の若者たちは、外からは見えにくい重荷を抱えて生きています。学校でのプレッシャー、社会からの期待、人を失望させたくないという不安、そして笑顔の後ろに隠れている孤独。だからこそ私は、教会が若者にとって「ほっと息をつける場所」になってほしいと願っています。そこでは、何かを証明しなくてもよい。誰かと比べられなくてもよい。ただ「あなたは神の子である」という理由だけで受け入れられる場所であってほしいのです。イエスが「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」(マルコ6:31)と言われたとき、その言葉は疲れていた弟子たちだけでなく、今を生きる若者たちにも向けられているように感じます。

教会の中にいるということは、「自分はここにいていい」と心から思えること。お客様としてではなく、「若者グループ」という枠の中だけでもなく、家族として迎え入れられることなのです。

数年前、司祭、修道者、信徒の協力者たちが集まり、教会の中で若者たちが実際に何を感じ、何を経験しているのかを聴くシンポジウムに参加したことがあります。そのとき、ある若いパネリストの言葉が今も心に残っています。彼女は、若者が教会から足を遠ざけてしまう理由の一つとして、「教会の未来はあなたたちの手にある」「あなたたちが教会を支えなければならない」と繰り返し言われることを挙げました。その言葉を聞くたびに、教会にいることが喜びではなく、義務のように感じられたと言うのです。そして彼女は、静かにこう問いかけました。「なぜ急に、私が教会を背負わなければならないのでしょうか。」その問いは、私自身にも深く響きました。大人が若者を励ますつもりで語る言葉が、時には重荷として届いてしまうことがある。だからこそ、若者に使命を語る前に、まず彼らが安心して教会の中にいられること、そして自分の声を聴いてもらえることが大切なのだと思います。

若者たちが“教会のために”生きるということ —使命を担う存在

教皇レオ十三世は、社会の刷新は若者の形成にかかっていると語りました。「若者は宗教と徳を愛するように育てられるべきである。社会の未来は彼らにかかっているからである」Sapientiae Christianae(SC14)。私はその言葉の意味を、若者たちの具体的な奉仕の中で感じています。ミサで音楽を担当する姿、移住者の家族を支える姿、友人の話を最後まで聴こうとする姿、集まりの準備を黙々とする姿。そうした一つひとつの行いの中に、信仰が形になって表れているように思います。若者たちは、教会に新鮮なまなざしをもたらしてくれます。創造性、誠実さ、勇気、そして本物を求める心です。

彼らは、福音が本棚にしまわれた言葉ではなく、今も人を励まし、動かし、生かす喜びのメッセージであることを思い出させてくれます。若者が教会に奉仕するとき、それは単なる「お手伝い」ではありません。彼らは自分たちの言葉と姿で、福音を伝えているのです。今日の教会の使命を、私たちと共に形づくっているのです。

若者たちが“教会とともに”歩むということ —共に旅する教会

若者を迎え、何かを任せるだけでは十分ではありません。教会は彼らと「ともに歩む」必要があります。急がず、上からではなく、まず耳を傾けること。そこにシノドス的な大切な姿があると思います。若者司牧は、よく整えられたプログラムだけで成り立つものではありません。一人一人の歩みに寄り添うことから始まります。

2027年にソウルで開かれる世界青年大会(WYD)のテーマは、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)です。不安の中でも一歩を踏み出す勇気。自分らしく生きる勇気。信仰に意味があると信じる勇気。そして、キリストが共に歩んでくださると信頼する勇気。この言葉は、今の若者たちにとって、近い響きを感じさせる言葉のように思います。教会とともに歩むとは、問いを抱えていても、弱さを感じていても、夢を探していても、若者が決して一人ではないと伝え続けることではないでしょうか。

私たちの教区における新しい若者司牧の息吹

若者が信仰の中で成長していくためには、イエスと仲間に出会える場が必要です。聖書の集い、信仰の分かち合い、静かな聖体礼拝、温かい食事のひととき。そうした小さな場面の中で、若者は少しずつ、自分が何者であり、神が自分に何を望んでおられるのかを見つめ直していくのだと思います。教会が若者の可能性を信じ、その力を育てるとき、教会自身もまた新しくされていきます。

若者を信じる教会へ

教皇フランシスコは、若者を「神の今」と呼びますChristus Vivit(CV178)。その言葉を、若者たちの真剣なまなざし、素直な問い、そして小さくても消えない希望の中に見ています。彼らは、神が今もこの世界の中で働いておられることを思い出させてくれます。教会の中で生きるとは、若者が「ここにいていい」と感じられること。教会のために生きるとは、若者が自分の賜物を使命として受け取ること。教会とともに生きるとは、私たち全員で、互いに支え合いながら旅を続けることです。

若者を迎え、耳を傾け、ともに歩む教会。イエスの心を少しでも映し出す教会。そのような教会を、若者たちと共に育てていきたいと願っています。


皆様との会話のために上記の思いを語らせていただきました。この機会を感謝しています。お会いできる日に、意見を分かち合って頂ければ幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

司教の日記

2026年5月29日〜6月1日
ベトナム訪問

現在、仙台教区の神学生はベトナム生まれ、ベトナム育ち、ベトナムで養成を受けている2人です。

ベトナムの学期は、9月から翌年の5月までです。先日、学期の終わりを機会に、2人と2人の養成の責任者、ご家族、出身教区の司教と他の関係者と面談するためにベトナムへ行ってきました。2人の近況と訪問のいくつかの場面をご紹介したいと思います。

トゥアンさん Joseph Nguyễn Văn Tuấn

(1988年4月生まれ)

ガクタン司教とトゥアンさん(右)

出身教区はホーチミン市(旧サイゴン)から約1250km離れているヴィン教区。以前、彼はヴィン教区の聖フランシスコ・ザビエル神学院で神学科2年まで養成を受けました。

2023年、休学中のトゥアンさんは、仙台教区司祭のすすめを受けて、手紙でわたしに「自分が仙台教区の神学生として司祭を志す歩みを続けたい」意志を伝えました。

仙台に来てわたしと面接したり、仙台教区の神学生養成委員たちとの面接による見解を伺ったり、以前彼が所属していた日本の教区の司教や他の司祭による推薦を受けたりした上で、わたしはトゥアンさんの申請を承認しました。

2025年5月、彼は編入生としてホーチミン市にあるドミ二コ会が運営している神学院に入学しました。

ヴィン教区の司教(右)と補佐司教(左)と

ガクタン司教から奉仕者に選任されるトゥアンさん

神学科3年を終えた彼は、5月29日、ドミニコ会ベトナム管区会員7人と共にホーチミン市にあるドミニコ会修道院の早朝ミサの中で朗読奉仕者・祭壇奉仕者に選任されました。わたしは、ミサを司式し、神学生8人に両奉仕職を授与しました。

ミサや選任式は、英語で行われました。説教の中で、仙台教区の第3代教区長アンドレ・デュマスと第4代マリー・ジョゼフ・ルミュー、第7代ライムンド佐藤千敬はドミニコ会の司教であったことを述べるとともに、仙台教区は、昔から今日に至るまでドミニコ会に大変お世話になっていることに対して感謝の言葉を申し上げました。

トゥアンさんは2027年5月、神学科4年を終了して、同年の夏、日本に入国し養成の次の階段を日本で続ける予定です。入国の手続きの際、出身教区の教区長から仙台教区への派遣状提出が必要です。

5月31日、わたしはヴィン教区の司教と補佐司教と会い、トゥアンさんが朗読奉仕者・祭壇奉仕者に選任されたことと今年9月から神学科4年を続けることを報告しました。最後に司教に、来年トゥアンさんを仙台教区に派遣していただくことをお願いしました。「ベトナムも宣教者たちから福音を頂きました。ベトナム教会も宣教者を派遣する時を迎えた恵みを頂いています。ヴィン教区出身の宣教者を喜んで派遣します」。両司教は、派遣の協力をそのように述べてくださいました。

 

クアンさん Anton Nguyên Đình Quang

(1999年11月生まれ)

ガクタン司教とクアンさん(左)

クアンさんは、ヴィン教区の隣ハティン教区出身で、2019年、技能実習生として日本に入国し、岩手県にある会社で働いていました。他の技能実習生たちと北上教会の主日のミサにあずかっていたクアンさんは、2022年、仙台教区の教区長になったばかりの私に、自身が仙台教区の司祭になりたい意志を伝えました。教区の神学生養成委員会の司祭たちとの面談による見解と出身小教区の主任司祭からの推薦状を受けた上で、私は彼の申請を認めました。クアンさんの司祭養成の全ての段階を日本で受けられると考えました。しかし、在留資格を切り替える手続きの難しさなどを配慮した結果、彼が母国で養成の最初の第一歩を踏み出すことに決めました。

2023年から2年間かかった予科をヴィン教区の予科院で受けた後、クアンさんは2025年9月からヴィン教区の聖フランシスコ・ザビエル神学院で哲学科の勉強をしはじめました。哲学科2年を終えて、2027年の夏、日本に入国し、司祭への養成の歩みを日本で続ける予定です。

5月31日10時、ヴィン教区の神学校の養成団と会い、院長からクアンさんについて養成団体の皆様の説明を受けました。

聖フランシスコ・サビエル神学院の養成団と(院長は司教の右)

2年前、私はクアンさんの出身教区を訪問し、教区長の総代理と会い、2027年に哲学科2年を終える予定のクアンさんを仙台教区に派遣していただくことをお願いしました。今回の訪問でもあいにくハティン教区の司教と会えませんでした。ヴィン教区の神学校の教師でもあるクアンさんの小教区の主任司祭は、日本への派遣の手続きを理解しています。クアンさんの日本への派遣に対するハティン教区の協力を約束してくれました。

ベトナムカトリック教会の若さと活気

若者たちと

5月31日、トゥアンさん とクアンさんの小教区の教会で主日のミサをそれぞれの主任司祭と共同体と祝いました。写真に写っているとおり、ベトナムの小教区の信徒は多く、その大半が若者です。子どもたちがミサで侍者の奉仕を奇麗にしています。仙台カテドラルで侍者をしている若者たちは、それぞれの所属小教区で養成を受けてきたことを今回の訪問で伺いました。

クアンさんの小教区の教会にて、主任司祭と聖フランシスコ・ザビエル神学院の副院長と主日ミサを共同司式

日本の他の14教区と同様に仙台教区にも多方面から新しい風が吹いてきています。この現実の中で、聖霊の導きを祈りながら、求められている対応や生まれてくる可能性を見極めていきたいと思います。

仙台教区司教 ガクタン エドガル

 

レポート司牧奉仕者例会
 「多文化共生司牧」について学ぶ

2026年度に入り、第1回目の「司牧奉仕者例会」は、4月27日(月)、「多文化共生司牧」をテーマに、さいたま司教区教区長・山野内倫昭司教をお迎えし、元寺小路教会で開催された。「司牧奉仕者例会」は、仙台教区で日夜司牧奉仕に励む司祭、信徒宣教者を含む28人が参加し、新しい教会の歩みに耳をかたむけていた。

「多文化共生司牧」という言葉とテーマは、中央協議会の組織再編成に由来している言葉であるということから、山野内司教の講話が始まった。

山野内司教は、中央協議会の組織改編(2026年2月)までは、「難民移動移住者委員会」の委員長であった。今は「多文化共生部門」の担当司教となられ、この視点からお話をしてくださった。

社会においても、教会においても、二つの大きな動きがあった。

  1. 難民、移住移動者が、社会的に大きな問題に直面して大変苦しんでいた。
    難民、労働、医療の問題、社会福祉の社会的側面と、そこから生じる多岐にわたる関連問題があった。
  2. 教会内における兄弟的姉妹的司牧配慮受け入れ、共生、同じ信仰をもって受け入れたらよいのか、というような大きな分野がある。

これまでは、その分野を分けて担当者が働いていた。しかし、1人の担当者が社会部門と司牧部門を担当するようになり、両方の課題を見ていた。例えば、政府へのロビー活動、弱い立場に置かれている人々への労働者支援活動、教会の中では、言語別の司牧ネットワーク活動があり、幅広く多忙な分野であり、それを同じ人が両方行わなければならなかった。

今回の組織改編によって、2026年2月の司教総会で、日本と各国からの信徒の司牧にかかわる部門・「多文化共生部門」と、これまで社会司教委員会のもとにあったすべての委員会、セクションを統合して「いのち・平和・人権委員会」となった。山野内倫昭司教は、この「多文化共生部門」の担当司教に、「いのち・平和・人権委員会」の委員長には森山信三司教が任命されたのである。

これによって、「外国籍信徒」という言葉は、日本人の目で見ている言葉で、その中には、日本人である自分が入っていない、と言うことが指摘された。

これは、「同じ信仰を持つ兄弟・姉妹」であることを忘れてはならない。共生であり、シノドス・共に歩む者であると言う意識に目覚めたのである。そこから、「多文化共生司牧」と言うことが言われるようになったのである。

山野内倫昭司教

ところが最近、「多文化共生」という言葉を社会でも、使ったり、見たりするようになってきた。カトリック教会で言う意味は、いろいろな言葉で話し、言葉は違う、文化も違うけれども、同じ信仰を持つ兄弟姉妹なので、一緒にイエス・キリストを信じる道を一緒に歩いて行きましょうというので、社会で使っている言葉とは基本的に違うものである。

お話をしてくださっている山野内司教は、ご自身、日本生まれであるが、ご家族でアルゼンチンに移住したのは、9歳の時で、コミュニケーションができない苦しみを味わった。苦労してスペイン語を勉強し、サレジオ修道会に入会し、アルゼンチンで哲学と神学を学び、1984年12月21日、司祭に叙階された。叙階後、アルゼンチンで、活動していたが、1997年に日本に帰国し、それから1999年まで、今度は、日本語の勉強とともに、宣教活動に明け暮れる毎日で、移住者の体験を身をもって味わった。

2018年6月2日、教皇フランシスコから、さいたま教区の司教に任命され、同年9月24日に司教叙階された。

日本の移民の歴史を見てみることも役立つと思う。

日本の移民の歴史を見てみると、2つの側面が見える。

1.大規模な海外移住(1868年—1970年代)

1868年の明治維新から、日本は開国へと舵を切り、人口増加の解消と経済の近代化の政策から、海外移住を奨励した。

初期は、ハワイと米国へ、移住したが、1924年の「排日移民法」により、米国への道が閉ざされた。

中南米への進出——メキシコ(1897年)、ペルー(1899年)、ブラジル(1908年)に、移住した。

戦後(第二次世界大戦後1952年以降)国内の混乱を和らげるために、パラグアイとボリビアへの計画移民が始まった。

2.受け入れ国としての日本(20世紀—現在)

日本は厳格な移民政策をとっているが、少子高齢化による労働力不足のため、近年は変化している。

在日コリアン:植民地時代(1910年—1945年)に労働力として渡航した人々にルーツを持つ大きなコミュニティーである。

1990年代のデカセギ現象:法改正により、ブラジルやペルーなどの中南米出身の「日系人」が日本で働くために帰還した。

近年の開放:「技能実習制度」や「特定技能」ビザの導入により、ベトナム、中国、フィリピンなどから建設や介護分野での受け入れが急増している。

在留外国人の総数(法務省出入国在留管理庁の最新発表〕

2025年6月末時点で、日本に在留している外国人は、395万6619人で、過去最多を更新している。前年末から約18万7千人増で、増加率は、約5%である。

国籍・地域の傾向(詳細の最新データは公開されている)

ここ数年の傾向としては、中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ネパールなどが上位、技能実習生や留学生、専門・技術分野の就労者が多いといった構成になっている。

順位 国籍・地域 人数(概算)

1  中国    90万 738人

2  ベトナム  66万 483人

3  韓国    40万9584人

4  フィリピン 34万9714人

5  ブラジル  21万 186人

  • 中国:2025年末には、初めて100万人を超えた。
  • ベトナム:2024年末には、2番目に多い国籍となった。
  • ネパール:2025年末には、初めて30万人を超えた。
  • ブラジル・ペルー:日系人として、東京、愛知、大阪、神奈川、埼玉、千葉、福岡などの大都市圏や、その周辺市町村に住む。

日本の人口に占める割合——およそ3%強

日本は、明治時代から日本で暮らすことができなかった人々を海外に送り、彼らはその国で、移民として寛大に受け入れられた。

今、日本は逆に海外からの人々を受け入れる立場にあるが、この歴史を忘れてはならない。

 

4月に山野内司教は、バチカンラジオから、インタビューを受け、5つの質問を投げかけられた。そこで、このように答えた。

今、日本は、外国人が増えている。これは恵みの時である。これを忘れてはならない。教会に、多国籍の兄弟姉妹が増え、彼らによって教会が変わろうとしている。新しいチャレンジと恵みの時である。

これを生きたら、カトリック教会は、日本の社会に対して、大切な証しとなるだろう。福音宣教のきっかけにもなる。

以上のような希望ある言葉で、今回の研修会を終了した。

イグナシオ・マルティネス神父

レポート司牧奉仕者例会
 『シノドス流の教会』を読んでみましょう

5月25日(月)、今年度第2回目の司牧奉仕者例会が開催された。これは、仙台教区で働いている司祭、信徒宣教者へ生涯養成の一環として、司牧の立場から、研修が企画されているもの。

今回のテーマは、「『シノドス流の教会』を読んでみましょう」、というもの。講師として招かれたのは、フランシスコ会士であり、東京大司教区のシノドス担当者であり、日本の教会の最先端に立つ西村桃子さん、シスター弘田と共に、司教団のシノドス特別チームのメンバーとして大活躍中の小西広志神父である。シノドスの問題についても、経験についても、最もふさわしい講師の1人であろう。

小西広志神父

小西神父様からのお話の中で、心に残ったのは、つぎのことでした。

世界代表司教会議の第16回通常総会が、2024年10月に教皇フランシスコに提出した『最終文書』は、教皇フランシスコの名前で発表された。

日本語訳は「シノドス流の教会 交わり、参加、宣教」《シノドス最終文書》として出版されている。

この最終文書を、日本の教会に取り入れていくには、どうしたらよいかと考えた。しかし、この文書は難しい。ヨーロッパの言語に訳すとき、そんなに困難は感じないが、日本語に訳すと堅くなる。教皇庁の出す文書は、日本語に訳された文章を読む時、それを忘れてはならない。原文を読んでも、そんなに堅苦しいものではないのだから。

このタイトルも『シノドス流の教会 交わり、参加、宣教』としたのは、そのような堅苦しさを感じさせないためである。日本の現実に合うシノドス的な歩みをしよう、というものである。

交わり、参加、宣教ということも、日本の教会の現実に即したやり方が、シノドス的というものであろうと思う。こう考えることによって、この本は、私にとって、大変励みになったのである。

私的なことを申し上げれば、私は八戸鮫町で子ども時代を過ごした。鷹觜神父様に大変お世話になった者の1人である。日本の教会は、人数的には小さい教会が多い。これは、交わりやすいということである。青森県の八戸は、仙台教区の現実を知っている。小さい教会、中央から離れた教会である。高齢化している教会である。今、カトリック教会は少子高齢化で、信徒は少なくなっているといわれるが、八戸の教会はこのことを知っている教会である。

ともに歩む教会——小さい教会では、ミサに参加して、その後、お茶を飲みながらいろいろな話をする。悪口を言わない。仲良くする。共同体の交わり。これは、シノドスの在り方ではないだろうか。

日本の教会として

私たちは、日本のカトリック教会にいるのだから、日本の教会のシノドスの歩み方をすればいいのである。ローマから示されたやり方は、参考になる。しかし、現場で、それをどうするか、ということは、ローマが提案することではない。私たちは、特別な人、限られた場にある信徒ではない。交わり、参加、宣教をするその場に生きているのである。

「呼びかけ」と「応答」

シノドスの最終文書は、全世界の教会に向けられた呼びかけである。この呼びかけに、私たちは答えていかなければならない。2028年に開催予定の「教会総会」までに答えていく。この「呼びかけ」と「応答」は、今までの教会にない在り方である。

私は、第二バチカン公会議の憲章をずっと読み直してきていた。2025年12月にベネディクト16世教皇が、第二バチカン公会議の受け止め方の指針を発表なさったが、これが、今日に至るシノドスの歩みの出発だったように思う。

その中の「神の民」「信仰の感覚(センスス フィデイ)」「宣教」は、シノダリティの教会、共に歩むための教会となるための土台である。

最終文書の構造

  • はじめに
  • 第一部 シノダリティの核心 聖霊による全人的な回心へ
  • 第二部 かかわりの見直し
  • 第三部 手順の見直し
  • 第四部 きずな、つながりの見直し
  • 第五部 宣教の見直し

この各部の見出しからも分かるように、本書の呼び掛けは見直しなのである。

まとめとして

今までの教会のあり方の相違

  • 決定や意見は上位下達の姿勢ではなく、一緒に考える姿勢を生きる。
  • 理想からではなく、現実を見つめること。
  • 聖書や教会の教えへの探求心を忘れない。
  • 「自分が」ではなく、神に委ねる心を持つ。
  • 人のことば、表情、態度などを「聞く」姿勢。
  • 「危機感」を押し付けない。
  • 実情に合わせて、小さな努力を重ねる。
  • セーフガーディングを意識した行動をとる。

以上、小西神父様のお話をまとめてみましたが、宣教司牧の現場にいる私たちにとって、とても参考になるお話しでした。

これから、私たちの共同体の歩みのために、大切にしていきたいと思います。

イグナシオ・マルティネス神父

 

仙台教区に「いのち・平和・人権委員会」発足

2026年 第13回いのち勉強会

5月9日(土)午前10時〜16時半まで、仙台司教区カテドラル元寺小路教会において、第13回いのち勉強会が開催された。今回は、日本のカトリック司教協議会の総会において、正義と平和協議会、難民移住移動者委員会、部落差別人権委員会、子どもと女性の権利擁護部門、HIV/AIDS部門を統合し、今年4月から「いのち・平和・人権委員会」として発足したことを記念し、その責任者である社会司教委員会委員長の森山信三司教をお招きし、「なぜ教会は社会問題に関わるのか」〜シノダリティ(ともに歩む)の中で平和について考える〜についての勉強会が実現した。

まず、仙台教区司教のガクタン エドガル司教が、司教協議会の組織変更に伴い、仙台教区でも「いのち・平和・人権委員会」を発足させたことが発表された。司教団でその責任を担ってくださる森山司教に感謝を述べるとともに、歓迎の挨拶を述べた。

次にイグナシオ・マルティネス神父が、午前と午後の講演の後、「平和を求める派遣ミサ」で終了するという当日のプログラムの説明があり、約70人の参加者を前に講演会が始まった。

自己紹介

森山司教は、最初に自己紹介をしてくださった。福岡出身で、ご両親は、初めは日蓮宗の熱心な門徒で、お宅の側には日蓮宗の大きなお寺と日蓮上人のご像があったそうです。お父様が大学生の時、キリスト教と出会い、洗礼を受け、結婚され、7人のお子様に恵まれ、司教様は第5子だったとのこと。ご両親がカトリック信者だったので、子どもたちはみな幼児洗礼を受け、毎晩、30分、家族そろって正座をしてお祈りをしていたそうです。お母さまは、朝ロザリオ3本、お昼に3本、夜に3本の9本のロザリオを唱えており、このような両親から信仰を頂いたと思っていると話された。

しかし、初聖体を受け、堅信を中学2年の時受けたその夜、ご両親に「もう教会は卒業したので、教会には行きません」と宣言し、教会に行かなくなった。だが、成人になり、教会に戻り、神学校に行き、福岡教区の司祭になり、30年間司牧生活をした。

2022年に大分の司教になり、昨年の6月、司教総会で社会司教委員会の委員長に任命された。

第一講話

以上のような、自己紹介で、すっかり会場の堅い雰囲気が柔らかくなり、「教会はどうして社会問題と関わるのか」ということから話し始められた。

社会問題は、政治と深い関りがある。政府が武器の製造販売を許可したことがニュースで流れたが、武器をたくさん造って、それを売ろうとしている。これは、私たちの信仰生活と大きな関りがある。だから、この問題に関わることは当然である。

歴代の教皇は、第2バチカン公会議の『現代世界憲章』の初めに書かれているように、「現代の人々の喜びと希望、苦悩と不安、とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、苦悩と不安でもある。」と言ってきた。だから、今回「正義と平和協議会」「難民移住移動者委員会」「部落差別人権委員会」「子どもと女性の権利擁護部門」「HIV/AIDS部門」という5つのセクションを一本化した。一つの教区の委員会だけではなく、全ての教区がつながり合っていきたいと考えている。

教皇レオ14世が、教皇選出直後に最初に言われた言葉は「あなた方全てに、平和があるように」という言葉であった。これは、復活されたイエス・キリストの平和である。謙遜で忍耐強い、武器のない平和、武器を取り除く平和である。

イエスはマタイの山上の説教の中で、「平和を実現する人々は幸いである」と言う。私たちが平和のために尽くす時、その人は幸いと言われるのである。この平和は神から来るものである。神は無条件に私たち皆に与えてくださる。この平和を聖書では「シャローム」という言葉で表現されている。

「シャローム」について
挨拶としてのシャローム

現在もイスラエルでは人と出会うと、「シャローム」と挨拶する。これは、お互いに敵意がない、と言うことを表して使う言葉である。「あなたと私の関係は大丈夫ですか」と問う言葉であり、「神と私の関係は健全です。壊れていません」とシャロームを使う。

日本人は山に登った時、知らない人同士でもすれ違う時、「こんにちは」と言う。挨拶を交わすと、何となく安心する。

アラビア語では「シャローム」と同義語の挨拶「サラーム」と挨拶する。

フィリピンで「サラマッポ」(ありがとう)と言うがこの言葉も「シャローム」からきた言葉だといわれているそうである。

シャロームの意味の広がり

通常「平和」と訳されている「シャローム」には、個人的にも、民族間においても、国家間においても友好が保たれており、欠けるところがないことを意味している。

創世記1・31に、神が創造の業をご覧になって、「見よ、それは極めて良かった」と言われたのであるが、しかし、今やその在り方は、誰が見ても、壊れている、痛んでいるが故に、完全な状態に戻すことが必要である。ここに、「シャローム」の意味の領域がある。

人間にとって、「極めて良かった」という状態、「完全な状態」とは、「いのちの充実」であろう。

聖書研究の一つの方法である「並行法」で読んでみると、イザヤ48・18では、平和と恵みが、同じものとして並べられている。

あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。

イザヤ32・17−18

正義が造り出すものは平和であり
正義が生み出すものは
とこしえに安らかな信頼である。

「シャローム」を別々の言葉で言い換えていくことにより、平和が広い意味を持っていることが分かる。

森山信三司教

シャロームと契約

ヨシュア記9・15 ヨシュアは和を講じ、「和を講じ」の原文はシャローム

列王上5・26 ヒラムとソロモンの間には平和が保たれ 原文はシャローム

戦争を語る文脈の中で、シャロームが使われた場合、戦争がない状態としての平和のみならず、同時に、軍事的・政治的意味での条約を含んでいる。

ミサの中で私たちは何を約束したか。その日の聖書朗読で確認したことである。その神の言葉を通して、深く神とのシャロームを認識する。そして、その印としてパンを頂いて帰っていくのである。

復活徹夜祭に、私たちは洗礼の更新をした。司祭たちは聖木曜日に、教区によっては聖水曜日に聖香油のミサをするが、その時、司祭たちは司祭の約束を更新する。

シャロームと契約は続いているのである。

エゼキエル34・25
『ラウダ—ト・シ』の86

共に暮らす家である地球を大切にしよう。一番初めに命を落とすのは、植物などを除いては、その日1日、1本のペットボトルの水がない人であろう。人間はすべて、関係の中で希望を持っている。永遠の命は、最高にもう望みがないと言う一瞬であると言われる。

私たちのいのちは人との関係の中で、あらゆる人間の関係の中で育んでいくのであるが、永遠の命は、神との関りである。神との関りを深めるほど、シャローム・神のいのちを生きていることである。神と私との関係は、イエスと私との関係でもある。

シャロームと正義

エレミヤ6・13−14

正義とは、社会的弱者を切り捨てるのではなく、尊重すること。それなしに、真の平和はないというのが、預言者たちの主張である。

「正義」とは、仲間内の、すなわち同じ神による契約関係のある者同士、誰の人権も損なわれないように努めること。

「正義の戦い」「聖戦」「正義の味方」という言葉はおかしいし、間違っている。正しさ、やさしさがシャロームである。

神殿に行くと献金箱があり、そこに、「ツェダカー」と書いてあった。これが、正義という意味である。
エレミヤ7・1〜7

預言者の言う正義は、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神に従うことなく、自らの禍を招いてはならない。

神殿で、イエスが商人たちを追い出されたことを見ても、神殿で、公正な分配がなされていなかったことがよく分かる。

その他、

詩編85・9〜11
イザヤ32・15
ローマ14・17

などをみると、平和への道は正義の実践に他ならないことがわかる。

聖書における正義

「ツェダカー」この言葉は、正義、公正などと訳されている言葉である。

平等な社会を目指すのが正義である。

イエス当時の神殿の在り方は、やもめが自分の生活費2レプトンを入れたことからもわかる。

イエスのシャローム

ヨハネ14・27,20.19

イエスはご自分がいけにえとなって、十字架に上り、私たちの罪をゆるし、神との和解へと向けてくださった。すなわち、イエスによって、神と人が結ばれ、再び約束、契約を交わすことができた。この契約が成立している状態を「シャローム」という。

マルコ福音の描き方は、無力な方として、十字架の上でイエスは死んでいく。弟子たちも見捨てていく。このありさまを見て、ローマの百人隊長は、「この方こそ、神の子だった」と言った。ここに、本当のシャロームがある。

パウロのシャローム

回心前のパウロは、律法中心の考え方であった。しかし、イエスの声を聞いた時から、彼は目が3日間見えなくなった。それまで、自分が律法を完全に守ることによって救われると信じていたが、弱さの内に神は私を救ってくださったという。

イエスのシャロームは、世が与えるものではない、という。
エフェソ2・14〜16

実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架をとおして、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

新しい平和を作り上げてくださったのです。

ミサにおけるシャローム 

「わたしは平和を残し、わたしの平和をあなたがたに与える」
 「世の罪を取り除く神の小羊、平和をわたしたちに」
 「主の平和がいつも皆さんとともに」
 「互いに平和のあいさつを交わしましょう」
 「主の平和」

平和と言う意味は広く、和解、神との和解、イエスとの和解でもある。

「平和のあいさつを交わしましょう」という挨拶は、両手を合わせて、丁寧に、綺麗に挨拶をしてください。

人間存在の暴力性(聖書から)
人間存在は、すでに暴力を内在している。その暴力をなくすことはできないが、制御し得る存在でもある。

イザヤ11・6〜9

自然界の望ましい秩序、すなわち、それまで強者(狼、ひょう、若獅子)は、弱く小さな人々(山羊、小羊、牛、乳飲み子)を抑圧して搾取する側に立っていたが、聖なる山では、害を加える者はいない。
大地は主を知る知識に満たされる。

質疑応答

聖書には、「殺すなかれ」、という言葉もあるが、一方では敵を「滅ぼし尽くせ」という神の命令もある。どう考えたらよいか?

旧約時代には、「滅ぼし尽くせ」という言葉もあるが、時代を経るに従って、預言者の時代には、「剣を鞘におさめなさい」となっていく。

「殺すなかれ」——イエスの時代になって初めてこの教えの全体を人間は知るようになったのである。

教区広報委員
Sr.長谷川昌子

※午後の部は次号でご紹介します。

 

各地区からのお便り

第1地区より

12年ぶりの地区大会「平和の集い」 
司教様と共に一つの信仰共同体

6月7日(日)キリストの聖体の祝日、さわやかな青空の青森市で、ガクタンエドガル司教様をお迎えして、12年ぶりの地区大会「平和の集い」が開催されました。テーマは「平和を実現する人々は幸い。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5.9)。

300人超の熱気みなぎる荘厳な司教ミサ。会場の明の星ホールに司教様の「平和が皆さんとともに」のご挨拶が響きわたり、感激しました。第二朗読は「パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体」。申東賓助祭様の福音朗読。堅信の秘跡に「涙が出た」と受堅者。浪打カトリックスカウト、聖母被昇天修道会、フィリピン・ヴェトナム共同体の奉仕と「共に垣根を越える」祈願。

午後は、昼食をとり、分かち合い。お一人お一人みんな笑顔で心からうれしそうでした。司教様は「聖霊の実り。一緒に集まること、そのこと自体に価値がある。交わり、対話し、理解し合う。そこに聖霊が降り、平和が到来する。心も思いも一つになれる。道はなくとも、歩めば、道はできる。神様はいつもわたしたちと共に生きておられる。わたしたちの命のうちに働かれる」。

師父聖フランシスコ特別聖年2026年に平和の恵みを頂いたことは、聖霊の賜物と存じます。司教様、パトリック・カストロベルデ地区長・李錫担当司祭・司祭団・申東賓助祭、献身的にご奉仕頂いた事務局浪打教会の皆様・地元本町教会とすべての関係の皆様に感謝申し上げ、神の民の一員として神様へ感謝致します。「キリストの平和がわたしたちの心の隅々にまでゆきわたりますように」

松田大(浪打教会)

〈三八ブロック/八戸塩町教会〉
30台収容の駐車場を新設

八戸塩町教会では、2026年4月12日に臨時信徒総会を開催して、30台収容できる駐車場の新設について賛否を採り賛成多数で採択されました。

この駐車場を造る構想は、昨年3月末で閉院した聖ウルスラ修道会八戸塩町修道院の建物の活用方法を、教会委員会で話し合い、旧修道院奥の「文化センター」跡地の活用と合わせて、駐車場を整備することになりました。

八戸塩町教会は、第一地区三八ブロックの中心的役割を担っており、合同開催する式典等では会場になり、そのたびに隣接する保険会社や近所の病院等の駐車場をお借りして対応していましたので、新たな駐車場の整備は必須でした。

そこで教会委員会では、表層を舗装するか、砂利にするかの意見が飛び交う中、除雪や草刈などの利便性を考慮した結果、舗装することを決めましたが、おりしも昨年12月に発生した大地震で、聖堂と旧修道院の壁にひびが入るなどの被害があり、被災建物の修理と、駐車場新設が課題になってしまいました。

その間、イラン戦争などの問題で、建築資材がどんどん値上がりしていて、早く工事に入らないと、見積金額が1桁高くなるという状況に追い込まれました。

工事に当たっては、仙台教区第一地区三八ブロック担当

施設整備協力制度運営委員である、鮫町教会の前田博さんが、かなりの部分を助けてくださり、竣工にこぎつけました。ありがとうございました。

2026年5月31日ミサ後の八戸塩町教会と鮫町教会合同マリア祭の前にジャスティン・ルクサ神父様司式で駐車場竣工祝福式を行い、55人の参加で、駐車場の完成と無事故などをお祈りしました。

牧山智廣(八戸塩町教会)

 

第3地区より

〈岩手南部ブロック/一関教会〉
ホームページ立ち上げる

2026年の復活祭を前にした3月末、カトリック一関教会は、ホームページを作成し、立ち上げました。

https://www.ichinoseki-catholic.jp

これは、前年の11月に、一関教会の一人の信徒の方が、担当司祭である渡邉彰宏神父様にホームページの立ち上げの必要性を訴え、自分がそのために力を注ぐと申し出たことから始まりました。

一関教会の広報委員会が協力することになり、復活祭に向けて開設することを目指して、企画を練り始めました。

このホームページには、2つの目的があります。

  1. 宣教のため:教会に関心を持っている人、何かよりどころを求めている人々のため。
  2. 信徒のため:一関教会・他の教会の信徒に、教会の情報を伝えるため。

作成にあたって、内容をよく検討し、プログラミング作成や掲載する写真、文章作成などを作成メンバーで分担しながら準備してきました。復活祭の前に完成したことは大きな喜びでした。その後、ホームページを見て、東京から教会を訪ねてくださった方もいました。また、きれいなホームページですねと言う声も届いています。

私たち担当者は、作成中、一関教会の記念誌を読みながら、これまで宣教師、神父様方をはじめ、どれほどの人々の信仰がここにあり、戦争中の困難さ・戦後まもなくの2度にわたる大水害も乗り越えながら、少しずつ現在の一関教会が作られてきたことを知り、胸が熱くなりました。また聖堂内にあるご像や鐘楼の鐘が、一関の人々のことを想い、遠くスイスの人々から贈られてきたことなど、多くの人々の信仰と祈りに支えられてきたこともよく分かりました。

ホームページには、教会の紹介はまだわずかですが、今後も少しずつ内容を更新していきたいと思います。最近、戦後の聖堂や現在の教会が建設された頃の古い写真や鐘楼の鐘が送られてきた時に、町を行列して運んでいる写真なども見つかったので、そういうものも掲載していきたいと思っています。

ホームページには、聖書のことばを少しずつ載せています。このホームページを通して、悩んでいる人、苦しんでいる人たちの心にも“みことば”が届き、神さまとの出会いがありますよう、これからもホームページを充実させていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

宮澤直子(一関教会・広報委員会)

 

神と先人の足跡に導かれ、
今日も前進する畳屋丁教会
創立110周年を迎える

6月13日(土)、イエスのみ心にささげられたカトリック畳屋丁教会で110周年記念ミサが執り行われた。

畳屋丁教会は1916(大正5)年11月8日に開設された宮城県で5番目の教会である。これに先立つ1915(大正4)年には、パリ外国宣教会のラサール・モンタグ神父が着任し、教会の基礎を築いた。

畳屋丁教会110周年記念ミサ

記念ミサはガクタンエドガル司教の主司式で行われ、担当司祭のロメロ・アルマンド・ツマリワン神父をはじめ、仙台教区畳屋丁教会が所属する第4地区の司祭たち、その他、畳屋丁教会前任者のギャリー・ゲストベオ神父もはせ参じ、内外の8人の司祭が共同司式した。畳屋丁教会の信徒約20人のほか、同じ第4地区仙台南部ブロックの一本杉教会の信徒や聖ウルスラ修道会のシスターたち約30人が参列し、創立110周年をともに祝った。参加者は、この地に福音の種を蒔いた先人たちの歩みに思いをはせながら、110年にわたる神の導きに感謝をささげた。

ガクタン司教は説教の冒頭で、先日スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアで行われた教皇レオ14世のミサに触れた。140年以上建設が続くこの聖堂を例に、「私たちは完成された神殿ではなく、今も建設中の神殿の中に生きている」という教皇の言葉を紹介し、110年の歴史を歩んできた畳屋丁教会もまた、復活されたキリストによって今なお築かれ続けている共同体であると語った。

続いて司教は、この日の聖書朗読が共通して神を「良い牧者」として描いていることを示し、詩編23編の「主はわたしの牧者」を引用しながら、牧者は羊を導き、守り、傷を癒やし、弱った者を支える存在であると説明した。そして、主は人生のさまざまな歩みの中で教会へ導かれた人々と今も共に歩んでくださると強調した。さらに、先月の聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、本来、収穫の初穂を神にささげる五旬祭であったことを紹介した。初穂は神の祝福のしるしであり、キリスト者にとっては、イエス・キリストが一粒の麦としてもたらした実りが、聖霊によって教会の中で育まれていくことを意味すると説き、また、教会は十二人の弟子から始まり、聖霊の働きによって成長してきたが、現代では進学や就職、結婚、転勤などにより信徒の移動や減少も起こると指摘した。しかし、人間の弱さや欠点があっても、聖霊は変わらず人々を導いてくださると語った。

最後に、この教会から修道会や学校の創設に関わった信仰者が生まれ、多くの信徒もそれぞれの場所で信仰の種をまいてきたと述べた。そして、植物は肥沃な土地だけでは育たず、太陽や雨風によって育つように、教会共同体も聖霊の導きの中で信仰の実りを結び続けるよう呼びかけた。

聖家族のタペストリー贈呈式

ミサ後、日本人として初めて司教となった早坂久之助師にゆかりのある聖家族の聖画(織物)の除幕式が行われた。この聖画はローマ教皇庁から早坂司教に贈られたもので、司教の妹が嫁いだ庄子家(畳屋丁教会信徒)に伝えられてきた。このたび庄子家から教会へ寄贈され、創立110周年の節目にお披露目された。聖堂内は、太陽の光が当たることから、応接間に掲げ、来られる方にお見せできるようにするとのことであった。

原尚幸教会委員長(左)と副教会委員長で聖画の織物を寄贈した庄子三千枝さん(右)

続いて、畳屋丁教会信徒の山田務氏による畳屋丁教会と仙台内外の教会史に関する記念講演が行われた。

祝賀会

次に会場を隣接する小さき花幼稚園ホールに移し、祝賀会が開かれた。司教のあいさつに続き、アルマンド神父、畳屋丁教会委員長の原尚幸氏、一本杉教会委員長、聖ウルスラ修道会代表から祝辞が述べられた。その後は軽食を取りながら、ビンゴゲームなども行われ、喜びの内に、和やかに親睦を深めた。

参加者は、長年教会を支えてきた信徒たちの信仰と献身に思いをはせた。幾多の困難を乗り越えながら守られてきた信仰の灯は、今日の共同体へと確かに受け継がれている。創立110周年を迎えた畳屋丁教会は、先人たちから受け継いだ信仰の恵みに感謝しつつ、新たな宣教の時代へと歩みを進めている。その使命は小教区の枠を超え、東北の地に福音を告げ知らせる仙台教区全体の使命とも重なっている。少子高齢化という現実の中にあっても、神の民の歩みは終わることなく続いていく。畳屋丁教会は新たな一歩を踏み出した。

教区広報委員 飯島 薫

 

カリタス南相馬をよろしく!

カリタス南相馬からのレポート

前回の『仙台教区報』No.264からカリタス南相馬の活動を紹介させていただくコーナーを作っていただきました。仙台教区の皆さまにこの地でのカリタスの活動を知っていただきたいと願っています。

2011年、東日本大震災震と東京電力福島第一原発事故の後、日本のカトリック司教団は「オール・ジャパン」で被災地支援をすることを決めました。そして、東京教区には宮城県南部と福島県での活動が割り当てられました。当時すでに、さいたま教区が支援のために、福島県いわき市に入っていました。東京教区は「カトリック東京ボランティアセンター」(CTVC)を作り、東北の被災地支援を始めていましたが、その年の夏以降、本格的に福島に関わるようになりました。浜通りから中通りに避難している方々のために、中通りの教会の信徒による支援活動が始まっていました。その方々と協力しながら、福島での活動を始めることになりました。

南相馬市原町区は福島第一原発から北へ約20-30kmの地域です。この地域は最初の1か月は「屋内退避」、その後も半年は「緊急時避難準備区域」という指示が出されていました。当時の平賀徹夫司教は、梅津明生神父を原町教会に派遣しました。最もたいへんな思いをしている人々のところに司祭を派遣したい、という思いからでした。10月以降、わたしたちは梅津神父の協力を得て、ここにボランティアベースを作るための準備を始めました。2012年6月になってようやくカリタス原町ベースを開所することができました。

ちょうどその頃、原発から20km圏内で「警戒区域」だった南相馬市小高区などの立ち入り禁止が解除されました。まだ居住は許されませんが、1年ぶりに家に帰ってみた人は、その荒れ果てた様子に呆然としたそうです。宮城・岩手の被災地と違い、福島県浜通りではこの頃になってようやく、家の片付けや庭の整備といったボランティア活動が本格的に行われるようになりました。もちろん、仮設住宅でのサロン活動のボランティアも続いていました。

この地域での支援活動が長期化していくことは明らかでしたので、東京教区、CTVCは新たな拠点として原町教会の敷地内に「カリタス南相馬」の建物を建てることにしました。わたしはその頃から原町教会に居住するようになりましたが、その後正式に東京教区から派遣されて、東北震災復興支援のためにここにいます。

カリタス南相馬の活動は、全国・全世界の多くの人の福島に対する思いに支えられて、今も続けられています。ここを訪れるボランティアの方々(高校生・学生のグループもいます)、長期ボランティアのシスター方、そしてスタッフにより、復興住宅への戸別訪問、サロン活動、草刈りなどさまざまな活動が継続されています。2019年の宮城県南部の豪雨災害、2020年に始まった新型コロナのパンデミック、2022年の福島県沖地震などに際して、その都度その都度、できることをやってきました。

2年前から「カリタス親子食堂」を始めました。最近では、地元の高校生もボランティアとして参加してくれることになりました。このことは、もっともっとこの地域に根差した活動にしていきたいと願うわたしたちにとって、大きな喜びです。

カリタス南相馬は一般社団法人で、地域のニーズに応えるための活動をする団体です。しかし、この活動は教会の活動でもあります。神の愛、イエス・キリストの愛の証しとして生きること、これがカリタス南相馬の使命です。わたしたちは、フランシスコ教皇が呼びかけた「野戦病院としての教会」「出口に立つ教会」の一つの具体的なあり方を目指して歩んでいます。

 

一般社団法人カリタス南相馬代表理事
カトリックいわき・原町教会担当司祭
東京教区名誉補佐司教 幸田和生

 

«

ページ上部へ