カトリック仙台司教区 Catholic Sendai Diocese

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司教

2026年 年頭書簡

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ゴールデンルール 黄金律

カトリック仙台教区 教区長
司教 ガクタン エドガル

 

親愛なる兄弟姉妹のみなさん

新年あけましておめでとうございます

聖年を過ごしてきて、新しい節目を迎えるにあたり、私たちの旅路を聖霊の導きに新たに委ねましょう。

「宗教的かどうかに関わらず、行動指針として黄金律に勝るものは少ない。」

これは、1965年から同じ企業の最高経営責任者(CEO)を務め、昨年末、職を退任した95歳のウォーレン・バフェット氏の2025年11月10日付の手紙からの言葉です。ここ数年私は、バフェット氏がバークシャー・ハサウェイ社の株主に向けて毎年発表する手紙を読んでいます。「オマハの賢人」とも呼ばれるバフェット氏の投資アドバイスはほとんど理解できませんが、その手紙には心の中で繰り返しつぶやきたくなる言葉が見つかります。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」。これは、一般的に言われる黄金律ですが、多くの宗教にもある教えです。ところが、主イエスは、そこに「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している」(ルカ書6:31-32)という教えを加えられます。

主イエスは、これを黄金律とは呼ばれませんでしたが、私たちキリスト者にとっての黄金律は、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ書22:37-39)という愛の掟です。

愛について説教するのは難しいです。昨年11月8日、福島市の野田町教会で、司祭に叙階される三人の助祭に「愛について」お話ししました。

説教の中で2024年10 月、逝去の6カ月前に教皇フランシスコが発表された最後の回勅『主は私たちを愛された』を紹介しました。私たち日本の司教たちは、昨年2月に行われた総会でこの回勅について分かち合い、教皇の言動の原点は、自身が主に愛された経験にあること、回勅自体は、教皇の在位期間全体を総括するものと感じました。
※「回勅 主はわたしたちを愛された」教皇フランシスコ著/カトリック中央協議会発行

この回勅は、まず「心の大切さ」から語り始め、聖書の中で主イエスの愛がどのように表されているか、また教会の伝統の中でそれが「イエスのみ心」としてどのように発展してきたかを詳しく述べ、最後は宣教について語っています。そこで、私たちの宣教の中心はまさにこの主イエスの愛なのだと語られているのです。

「宣教をキリストのみ心から愛が輝きわたることと理解するならば、宣教にはキリストに魅了され、キリストに恋い焦がれた宣教者が必要となります。そのような宣教者は、自分の人生を変えてしまったそのキリストの愛を伝えずにはいられないのです」(209項)。

この教皇フランシスコの言葉を読んでから司祭に叙階される三人に「宣教者として、司祭として、何よりもキリストに『魅了される』者でいてください。これが一番大切なことです。それがあれば、人々は私たちを司祭として認めるでしょう」、と語りました。これは、司祭叙階式の説教の第一点でしたが、誰よりも自分に向けたい言葉です。

説教の第二点として、司祭の役割を明確にしながら、「ともに主イエスの愛に満たされた共同体を作っていきましょう」と呼びかけました。叙階式には仙台教区、東京大司教区、ベトナム、フィリピン、スペイン、ローマ、アメリカ合衆国からの司祭たちが共同司式し、信徒の国籍はさらに多様でした。説教は、日本語と英語でいたしました。

確かに、「ミサを司式すること」「ゆるしの秘跡で神からのゆるしを与えること」「病者の塗油の秘跡を行うこと」、そして小教区という教会共同体の中での決定に最終的な責任をもつのは、司祭(主任司祭、担当司祭)の役割です。でもこれらすべてを、司祭が独占するのでもなく、そのすべての役割を司祭だけに押し付けるのでもありません。第二朗読となった聖パウロのエフェソの信徒への手紙(4:1-7、11-13)に次の言葉があります。

しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。… 11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」

「清掃作業員も会長も、同じ人間であることを忘れるな」とバフェット氏は昨年の手紙に記しました。私たちの教会についても同じことが言えるのです。教会の受付、年老いた修道女、中学生の侍者、聖歌隊、役員、会長、司祭、司教もみな同じキリスト者なのです。

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2025年の年頭書簡で、私は年度中、仙台教区の五地区に出かけ、その代表者たちと会いたいと希望を記しました。その会合への願いはかないました。小教区の抱える課題や問題などについて話しましたが、参加者からは、この集まりを福音宣教とその実践方法について話し合う場とすべきだという意見も出されました。

また同じ書簡では、典礼への理解を深め、礼拝と祈りの準備に力を注ぐようにと呼びかけました。私たち司祭は、「司祭不在のときの主日の集会祭儀」について数度にわたり協議しました。本年中に、教区における「司祭不在のときの主日の集会祭儀」実施条件と必要な準備事項を定めた書簡を公表します。

命に関わる災害でもない限り、共同体が神を賛美し、祈り、神のみ言葉を聞くために集まることを妨げるものは何もありません。集会の主は常に臨在しておられます。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」、主はこう言われます(マタイ18:20)。

昨年中に、ケベック外国宣教会・イエスの小さい兄弟会・グアダルペ宣教会・京都教区・淳心会の所属司祭 5人が異なった時期に仙台での奉仕を終えました。本日現在、仙台教区には14人の教区司祭が在籍しています。それに東京大司教区から1人、韓国光州大司教区1人、イエズス会1人、エスコラピオス修道会2人、グアダルペ宣教会3人、淳心会4人、神言会1人、ドミニコ会1人、合計14人の司祭が派遣されています。

エスコラピオス修道会は、2024年2月、初めて会員を2人仙台に派遣し、野田町教会を拠点としています。昨年、野田町教会で司祭に叙階された三人は、この修道会の会員で、一人は韓国人、二人はベトナム人です。いつか、三人のうち、一人を仙台に派遣して頂ければ幸いです。

光州大司教区から派遣された助祭は、仙台市で日本語を学び始めて10カ月目です。また2人の仙台司教区の神学生は、母国ベトナムで学んでいます。一人は神学科3年次、もう一人は哲学科1年次です。祈りを込めて3人の司祭叙階の日を待ち望みましょう。

パリ外国宣教会、ドミニコ会、ベツレヘム宣教会、ケベック外国宣教会の宣教師たちによって教区の今の52教会と5巡回教会の大半は設立されました。さまざまな時期に、多くの教区や修道会、宣教会が仙台に司祭を派遣し、その司祭たちはさまざまな奉仕活動に従事しました。修道女、カテキスタ、修道士たちの奉仕を忘れてはいません。みなは、聖パウロがいう「種まき人」や「水をやる人」なのでした(コリントの信徒への手紙一3:5-9)。

おかげさまで仙台教区は、今年、教区になって90周年を迎えています。本年を機に、2036年の創立100周年記念に向ける準備をし始めましょう。また、2027年8月、韓国のソウル市で開催される世界青年大会への仙台教区からの参加を企画していきたいと思っています。

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教皇レオ14世は、2025年10月9日、使徒的勧告『あなたを愛する』を発表しました。それを一通り読んで、前任者教皇フランシスコの最後の回勅『主は私たちを愛された』との連続性を感じました。教皇レオ14世の使徒的勧告の本の一部をご紹介します。
※「使徒的勧告 わたしはあなたを愛している――貧しい人々への愛について」
教皇レオ14世著/カトリック中央協議会発行/2026年1月9日発売

「キリスト教の愛は、わたしたちの前に立ちはだかるあらゆる障壁を打ち破り、遠くにいる人々を結びつけ、見ず知らずだった人びとを団結させ、敵同士を和解させます。 … 愛に制限を設けず、相手を闘うべき敵と見なさず、むしろ愛すべき女性や男性として理解しようと努める共同体こそが、今日、世界が最も必要としている教会の姿なのです」(120項、阿部仲麻呂訳)。

教会へ来た人を案内すること、疲れた者を励ますこと、困っている人へ献金すること、人の話に真剣に耳を傾けることなど、ささやかな思いやりと支えの行為を通じて、お互いを大切にしましょう。

「完璧にはなれないけれど、常により良くなれるのです」。これもバフェット氏の2025年書簡から得た言葉です。一歩一歩、成熟した人間へ成長することを願い、私たちの旅路に神の祝福がありますように。共に旅しておられる主イエス・キリストをその物語を通して深く知り、巡礼者として歩み続けましょう。

 

2026年1月1日
着座四周年の年頭書簡

 ♰ガクタン エドガル

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