カトリック 仙台教区報 No.262
目次
喜んで与える人


仙台教区 教区長
ガクタン エドガル司教
四旬節を間近にした本紙の冒頭として季節外れの話ではありますが、サンタクロースは、オランダ語の聖ニコラオの名称「シンタクラース」から変化し、他の人物や物語と融合し、今日知られる陽気な人柄で、赤い服を着て贈り物を配る姿へと発展したものです。
サンタクロースの原型である聖ニコラオは、282年、現在のトルコに生まれました。彼はひそかに贈り物をすることで知られ、最も有名な話は三人の姉妹を強制売春から救うために、結婚の持参金を提供したという伝説が残っています。当時のミュラ教区の司教としてニコラオは、325年に行われたニケア公会議に出席しましたが、殉教者として 343年12月6日に死去しました。この日は、今も多くの地域で聖ニコラオの記念日として祝われています。使徒パウロの言葉で言うと、聖ニコラオは、「喜んで与える人」(コリントの信徒への手紙二 9:7)の一人です。
今年の四旬節は、2月18日(「灰の水曜日」)に始まります。四旬節は、復活祭における主イエスがよみがえられた出来事を祝うための準備期間です。四旬節の間、私たちは聖書を読むことを通して祈りの中で主イエスを求めたり、施しによって奉仕したり、断食を通して自制を実践したりします。四旬節には贅沢(ぜいたく)を控えるだけでなく、キリストのみ心に、より忠実に従おうとする中で、内なる回心へと招かれています。
施しを行う(個人、または団体に寄付する)ことは、神の賜物を分かち合う方法の一つです。「自分の財産を貧しい人々に分かち合わないとすれば、それは貧しい人々のものを盗むことになり、彼らの命を奪うことになります。私たちが持っている物は私たちのものではなく、貧しい人々のものです」(カトリック教会のカテキズム、2446 項)。これは、聖ヨハネ・クリゾストモが残した教えです。しかし、施しは金銭の分配だけでなく、私たちの時間や才能を分かち合うことでもできるのです。
四旬節は、キリスト教入門の儀式を通して、キリスト信者となる意志を表明し、洗礼を受ける準備を行う者たちにとって、学びと見極めの期間です。私たちは、洗礼志願者の気持ちになって復活祭を迎える心構えをいたします。
各時代に生きるキリスト者は、神の存在に疑問を抱いたり、富に執着したり、権力と繁栄を欲しがったりする誘惑を感じたりすることがあります。祈り、節制、愛の行いは、そういった誘惑に対する霊的な修練です。
聖ニコラオのような信仰の先輩たちは、この世の悲惨な現実を見ながらも、自分で精いっぱいの努力を重ね、旅路の途中では、主イエスの教えに示された道しるべを見失いませんでした。
私たちも主イエスの道を歩もうとしていますが、たびたび道を外れてしまいます。多くの皆さんは2月18日の灰の水曜日のミサに参加できないかも知れませんが、灰の祝福の祈りのこの言葉をもって四旬節を過ごしてまいりましょう。
「全能の神よ、あなたは、罪びとの死ではなく回心を望まれます。……土から出て土に帰って行く私たちが、四旬節の務めに励み、罪のゆるしを受けて新しいいのちを得、復活された御子の姿にあやかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」
聖年の扉の閉幕式
2025年通常聖年が、12月28日(日)「聖家族の祝日」に閉幕式を迎えた。
早いもので、聖年の開幕式を荘厳に祝ったのは、1年前の2024年の12月29日(日)の同じ「聖家族の祝日」であった。
その時、司式されたガクタン司教様は「皆さん、ナザレの聖家族の愛の交わりの中で育まれた救い主イエス・キリストの受肉の神秘は、私たちにとって、深い喜びと確かな希望のよりどころです。この式は、私たちにとって、恵みといつくしみの豊かな体験への序曲です」と呼びかけられました。
そして、イエスがナザレで30年間の生活は、マリアとヨセフと共に生活されたが、この二人に仕える生活をとおして、人間として成長する道を歩まれたイエスに倣うことが大切。第2のことは、「旅に出ること=巡礼すること」の2つを教皇が、私たちに望んでおられることと紹介された。
それから「希望の巡礼者」という言葉だけではなく、教区内全体に「巡礼教会」や「殉教碑」などが巡礼所に定められ、海外や教区外からも巡礼客が大勢訪ねて来た。
仙台教区では初めてと言われた、「聖年の扉」が準備された。
聖ぺトロ大聖堂の聖年の扉と同じ図柄のフィルムが貼られ、その前にアーチが造られ、ブドウや麦の穂、緑の小枝や花で飾られたその門を、皆、聖年の祈りを唱え、「希望の巡礼者」の聖歌を歌いながら行列して聖年の門をくぐった記憶が昨日のように鮮明だが、もう1年経ったのかと、驚きの声を上げる参加者もあった。

閉幕式ミサに参加するために集まった人々の多くは、仙台市内の教会信徒であったが、石巻教会や、塩釜教会、青森の教会から参加された人もおられ、お互いが、巡礼で迎える側、参加する側同士が出会い、懐かしそうに話し合っている人の姿も目立った。
ミサには、カテドラルがびっしりの人が埋まった。ミサはガクタン司教主司式、共に祭壇を囲んだのは、幸田和生司教、平賀徹夫司教、イグナシオ・マルティネス神父、申助祭が並ぶ。司祭団も、兪鍾弼神父、佐々木博神父、ヴァレラ・ミゲル神父、アルマンド神父、アンリ神父、ドミニク神父、氏家和仁神父、侍者は6人が奉仕した。

聖年の扉の前で3人の司教様と司祭団・祭壇奉仕者
閉幕式のミサは当日の言葉の祭儀の部分は同じで、最初の回心の祈りの言葉も、よく準備された特別の祈りで、「主は、聖年の免償を通して、恵みと祝福の川を流してくださいました」という言葉にも心が打たれた。
マタイ福音(2・13-15、19-23)の朗読の後、ガクタン司教がまず、「主のご降誕のお喜びをもしあげます」と喜びの挨拶の声を掛け、参加者が喜んで拍手したのが印象的だった。続いて次のように述べた。
聖家族の祝日をもって聖年が終わり、聖家族の福音の照らしを受けて、この一年の聖年を振り返って見たい。
私は、知らず知らずに歩いてきた細く長い道をたどり、今、仙台に来ている。
生きることは旅すること。その旅には終わりがない。ぬかるみの道もいつかは、必ず終わる。
私たちの生涯は巡礼である。巡礼は私たちの人生の縮図である。
有名な聖地巡礼で、たとえ240キロの道を歩くとしても、人生の喜怒哀楽を体験する。そこには、人の支え、喜びがある。
今日は聖家族の祝日である。ヨセフ、マリア、イエスの聖家族は、私たちの模範である。しかし、この聖家族は、今の言葉で言えば、難民として逃げ、生活された。自分の王位を脅かす者として、君臨していた王が、イエスだけではなく、2歳以下の子どもたちを殺害した。その王が死んだので、ユダヤに帰ってきたが、その子のアルケラオがヘロデよりももっと乱暴で、また再びナザレに行かなければならなかった。ヨゼフたちを導いた光、旧約聖書の言葉は、全てイエスのことを示している。
私たちの身にも、聖書の言葉が実現する。私たちも、そのことに驚くことがある。
12歳のイエスは、イエスを捜したマリアに「私の人生は私が決めるよ」と言わんばかりの言葉を母マリアにおっしゃった。子どもが反抗期の時は、親と子どもの間はなかなかうまくいかない。「私は、あなたを愛しているよ」、と言いたいが、息子、娘には通じない。しかし、神はともにおられるのである。
今クリスマスを祝っている。聖体拝領で、祝っているイエスを私たちの中に受け入れた。私たちも聖家族の一員である。私たちの家族の中にイエスはおられる。
私たちは家族である。時々休みをとることは必要である。神も7日目に休まれた。私たちは7日目にミサに参加する。
聖年を一年前に開幕したが、閉幕の式はしない。希望の門はだれにも開かれているからである。私たちの門はだれにも片付けられないもの。私たちにとって、その門は希望だから。私たちの旅の先に必ず希望の門が開かれているのである。
ナザレの聖家族の愛の交わりの中で育まれた救い主イエス・キリストの受肉の神秘は、私たちにとって、深い喜びと確かな希望のよりどころとなり、この式は、私たちにとって、最終の旅の先に見える開かれた希望の門への。恵みといつくしみの豊かな体験に向けて、力強い歩みを踏み出したのである。
仙台教区広報委員
Sr. 長谷川 昌子
聖年の恵みを感謝する集い

聖年の閉幕式の直前、主に第4地区で宣教司牧者として活躍する、ケベック外国宣教会の信徒宣教者ジュリ・フェクトさんが主宰する、巡礼の数々を体験した巡礼者たちが、ジュリさんにその素晴らしかった巡礼について感謝の言葉を伝えていた。そこで「一人で聞くのはもったいない。もっと多くの人に聞いてほしい」ということで、3人の方に話していただくことにいたしました、と出席者に話し、3人の方が次々と分かち合ってくださいました。
飯島 薫さん(一本杉教会)

私は、1年前に23年ぶりに仙台に戻り、教会にも帰ってきました。それまで仕事や家の事情でなかなかミサにあずかれない日々が3~4年続いていましたが、その間、エレミヤ書27章11節を拠り所にしていました。
ようやく聖体拝領ができるようになっても、欠落感が消えませんでした。聖年の巡礼のロゴマークの説明に巡礼は共同体なものとありました。しかし、私がスマホ時代の個人主義を取り込みすぎているせいか、人との繋がりが深まらないでいる中、ジュリさんの巡礼がある、ということを知り、ひとりで歩くのではなく、同じ信仰を持っている方々と歩くということを聞き、参加しました。
教会では、世間的な話にとどまる方ともお話し、皆、一人ひとり神様のご計画の中でイエスと一緒に歩いていることを教えていただき、安心感に繋がりました。10月にサダナの会に出会い参加しました。呼吸や自分の存在に意識を集中して黙想するというものでした。体を使った黙想をすると、歩くこともそうですが、心にイエスの居場所を作ることが楽にできるように思います。
聖年の時に教会に戻り、たくさんの恵みをいただき、イエスが共にいてくだされば、何も恐れることはないことを一年かけて教えていただきました。
これからも、仲間と共に歩いて行こう思います。
佐藤 チカコさん(東仙台教会)

聖年の期間巡礼は2度いたしました。8月は一人で、広瀬川殉教碑まで歩きました。9月は大籠まで、東仙台教会の巡礼で、バスに乗っていきました。
広瀬川の殉教碑で、殉教者たちを見上げていると、農民の代表の方と目があいました。笑顔で私を見ていました。
私は、それまで、殉教の時、踏み絵を出されて、キリストを信じているなら踏み絵を踏めと言われたら、私は踏むと考えていました。
しかし、殉教地に行き、私の信仰は変わりました。踏み絵を踏む時、天国の殉教者が助けてくださると思えるようになりました。彼らの時代と現代の私たちと比べて、彼らはもっと大変だったと思います。イエス様、マリア様ヨセフ様もいらっしゃるのです。私たちは、父なる神様のもとへ帰るだけなのです。
どんなに差別されても、馬鹿にされても、私はきっと大丈夫です。
後藤 恵子さん(元寺小路教会)

私は、通常、くるま椅子を使っており、歩くことができません。
私の巡礼は、元寺小路教会から、北仙台教会まで、往復5キロの道を巡礼しました。
私は、ジュリさんが 100 キロの巡礼をするとき、私は小さな、この巡礼を計画しました。この私の巡礼には、ジュリさんと遠藤さんが付き添ってくださいました。
私はこの巡礼をする意向を「全ての命を守るために」といたしました。色々な困難にある人、すべての動物、植物も、全ての命を守るために歩きました。
体調面では、左足がむくんで、右足 1 本だけで歩くような状態、ドクターストップもかかりましたが、今しかない、と思いました。
ジュリさん、遠藤さん、主人の祈りが強いことを感じました。汗だくになり、達成感と、仲間意識に支えられて、巡礼できましたことを感謝いたします。空の車いすを黙って共に巡礼してくれた主人に感謝して。I love you!
2025年の旅を振り返って
ガクタン エドガル司教
私たちは、2025 年を聖年として過ごしてまいりました。その間、私も仙台教区の指定巡礼教会と殉教地を訪問し、他の巡礼者と祈りと会話の時間を大切にしました。2025 年、他の司教や信徒と一緒にした旅を二つ、また教会の一致に奉仕している教皇レオ 14 世の初めての海外訪問の一コマを紹介したいと思います。
1.日本と韓国の司教団の歩み(第27回日韓司教交流会)
2025年11月18日~20日、広島教区で「第27回日韓司教交流会」が開催されました。日韓司教交流会は、最初は有志の集まりでしたが、その必要性から正式のものとなり、すべての司教たちが参加する貴重な交流会になりました。今回は、韓国から19人の司教様と5人の司祭、日本の16人の司教と4人の司祭が参加しました。
今年のテーマは、「戦後80年の傷跡と希望~若い世代に平和をつなぐために」というもので、学び合い、交わりを深めることができました。この大きなテーマとともに、サブテーマがあり、初日の18日は「過去を振り返る」(戦争の傷跡)。2日目は「戦後80年を迎えて(慰霊の祈り 」 )、最後の20日は「若い世代に平和をつなぐ(」WYD)というもので、これに沿って、プレゼンテーションが組まれており、平和記念公園で、韓国人被爆者の慰霊碑に献花をするなどの企画が組まれていました。
初日には「日韓カトリック教会の架け橋としての朝鮮学校、在日の人々の痛みによりそうことで見えてくること」について、イエズス会の中井淳神父がプレゼンテーションをしました。ご自分の歩んできた道筋でそれぞれに出会った韓国の友人たちとの関わりが、ご自分の回心につながっていることを話してくださいました。
2日目は、「韓国の目から見た原爆資料館」として、講師の李昇勲氏によって、プレゼンテーションがなされました。
最終日の20日には、来年の「WYD世界青年大会」の準備状況について、ソウル大司教区の補佐司教が、将来を見据えて、若者たちに平和な世界を築いてほしいという思いが伝わってきました。
私は、仙台教区でも青年たちが参加する企画が立てられないかと考えました。例えば、仙台からクアンジュへ行き、そこからソウルへ行くという企画が考えられるのではないかなどとも思いました。
2.アジアの民の歩み(第2回アジア宣教大会)
アジア司教協議会連盟(FABC)主催の第2回アジア宣教大会が2025年11月27日(木)~30日(日)までマレーシアのペナン市で開催されました。(第1回アジア宣教大会は2006年10月18日~22日、タイのチェンマイ市で開催されました。)
第2回アジア宣教大会に日本から司教協議会の3教会管区から代表者として、東京教会管区からガクタン エドガル司教、大阪高松大司教区から酒井俊弘司教、長崎大司教区から森山信三司教、中野裕明司教を含む21人の司祭、信徒宣教者、若者たちが参加しました。仙台教区からはジュリ・フェクトさんが参加しました。

左から 酒井司教、中野司教、森山司教、
タグレ枢機卿、ガクタン司教
アジア全体では約900人の参加者でした。菊地功枢機卿は、日本団体の中にではなく、FABCの主宰者側のメンバーとして活躍なさっていました。

日本からの参加者:前列中央にガクタン司教、
後列に菊地枢機卿とジュリ・フェクトさん
第2回アジア宣教大会のテーマは「アジアの民として共に歩む ― そして彼らは別の道を通って帰った」でした。テーマの後半のフレーズは、マタイによる福音書2章12節からの言葉で、幼子イエスに出会った後の占星術の学者たちの歩みを指しています。
「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げを受けた学者たちは、別の道を通って自分たちの国へ帰って行きました。
大会のテーマのキーワードとも言うべき「別の道」にもう一つの意味があります。それは、教会で進行中のシノドスです。この大会は、私がこれまで参加した他の大会と違って、各講話の内容が生き生きと感じられる、想像力豊かなプレゼンテーションでした。
講話の後、霊における会話が行われました。FABCの公文書に「対話」という言葉がよく見いだされます。文化との対話、貧しい人との対話、諸宗教(身近にある宗教)との対話など。大会では自然体で、祈りに満ちた会話を体験しました。
参加者の大半は、キリスト教徒の少ない国から来ました。大会は、刷新運動の一種の様で、参加者たちは励まし合ったり、主イエスとの歩みの方向を確認したりしました。
主イエスこそが「別の道」を歩んだ方であり、私たちを希望へと招く星そのものなのです。どんな状況でも主イエスの光に向かって歩く「巡礼者」でありたいと参加者たちは心で思ったに違いありません。
3.教会の一致に奉仕している教皇レオ14世の旅
巻頭言に歴史的人物聖ニコラオはミュラ教区の司教として325年に行われたニケア公会議に出席した話に触れましたが、去年5月教皇に就任された教皇レオ14世の初の海外訪問先は、トルコ西北イズニクで、ニケア公会議1700 周年を記念するためでした。
2025 年 11月28 日付のバチカン・ニュースがイズニク訪問を報道しましたが、ニュースの一部は、次の通りです。
「レオ14世は、かつてはニカイアと呼ばれたこの地で、ニケア(ニカイア)公会議から 1700年を記念する、エキュメニカルな祈りの集いを、正教会のコンスタンチノープル総主教バルトロメオス1世はじめ、諸キリスト教教会の代表たちと共に行われた。
イズニクの前身であるニカイアは、アスカリオン湖(現在のイズニク湖)に面して紀元前310年頃に建設された都市で、交通の要所として交易で栄えた。この地で、325年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって、また787年に、東ローマ帝国のエイレーネ『アテナイア』によって、2つの公会議が開催された。
エキュメニカルな祈りの集いは、イズニク郊外の聖ネオフィトス大聖堂の遺跡のそばで行われた。ニカイアの聖ネオフィトスは、303年に殉教した若きキリスト教徒である。同聖人にささげて建立され、740年の地震で崩壊した大聖堂の遺跡が、2014年、イズニク湖の浅瀬で発見された。
集いに参加したキリスト教諸教会の指導者・代表者たちは、キリストのイコンと、公会議を描いたイコンを掲げ持ち、湖のほとりに向かって荘厳に行列を行った。湖と遺跡を見渡す舞台の上で、参加者たちは、福音朗読や聖歌、バルトロメオス総主教と教皇レオ14世の挨拶に耳を傾けた後、ニケア・コンスタンチノープル信条を共に宣言した。」
教皇フランシスコの 2025年通常聖年公布の大勅書『希望は欺かない』(2024 年5月9日)を読まれた皆さんが多いと思います。この大勅書で教皇フランシスコがニケア公会議の開催の意義を語ります。
その条項(17)を改めて読んでいたら、私たちが望んでいる教会の一致への実現への歩みがほど遠いと思いながら、2025年に交代された教皇2人の教会の一致への奉仕に感動しました。
教皇フランシスコが大勅書に記している希望を吟味しましょう。
「来る聖年の間には、すべてのキリスト信者にとって非常に重要な記念日を迎えます。まさしく最初の重大な公会議、ニケア公会議の開催から千七百年になります。使徒時代以来、司教たちは教義と規律に関する諸問題を取り扱うため、さまざまな機会に集いをもっていたことを思い起こすのは時宜を得ています。最初期の信仰の数世紀の間、西方においても東方においても教会会議(シノドス)が繰り返され、神の民の一致と福音の忠実な告知とを守り抜くことがいかに重要であるかが示されました。今日のキリスト教共同体が、福音化の急務によりふさわしく対応するためにますます必要な表現だと自覚する、シノダリティ(ともに歩むこと)の姿を具体化するため、聖年は大事な機会となるでしょう。洗礼を受けたすべての人は、おのおの自分のたまもの(カリスマ)と役務をもち、希望の多様なしるしが世界に神の現存をあかしするよう、連帯責任を負っているのです。
ニケア公会議の使命は、イエス・キリストの神性および御父との同質性の否定によって、重大な脅威にさらされていた一致を守ることでした。325年5月20日、コンスタンティヌス帝の招集を受けた、およそ300人の司教たちが宮廷に参集しました。さまざまな議論の末、聖霊の恵みにより、わたしたちが今日主日の感謝の祭儀で唱えている信条について意見の一致を見ました。公会議で、教父たちはこの信条を、初めて用いることとなった『わたしたちは信じます (10)』という表現をもって始めることを望みました。それは、この『わたしたち』において、すべての教会が交わりの中にあり、すべてのキリスト信者が同じ一つの信仰を告白するということをあかしするためです。
ニケア公会議は、教会の歴史における一里塚です。その開催の記念日は、キリスト信者たちを、聖三位への、とりわけイエス・キリスト―神の御子、『御父と同一本質 (11)』、愛のこの神秘をわたしたちに明かしてくださったかた―への賛美と感謝のうちに一つになるよう招くものです。そしてニケア公会議は、諸教会すべてと全教会共同体に対する招きともなっています。目に見える一致へ向かって歩み続けなさい、イエスの祈りに完全にこたえるにふさわしい姿を倦まず求め続けなさい、との招きです。『父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります』(ヨハネ 17・21)。
ニケア公会議では、復活祭の日付についての議論もありました。これについては、今日でも立場の違いがあり、信仰の土台となる出来事を同じ日に祝うことの妨げとなっています。摂理的な事情により、その機会がまさに 2025 年に訪れます(訳注:2025年の復活祭は、西方でも東方でも4月20日になる)。これが、東方と西方のすべてのキリスト信者への呼びかけとなり、復活祭を共通の日とする一致に向かう決定的な一歩を踏み出すよう期待します。心得ておくとよいと思いますが、多くの人は過去の論争をもはや知りませんし、この問題について、なぜ分裂が続いているのかを理解していないのです。」
特集 第42回日本カトリック正義と平和全国集会 2025仙台大会
仙台教区報の前号 No.261に引き続き、2025年10 月12日に元寺小路教会大聖堂で行われた、仙台大会2日目の基調講演とシンポジウムの内容を報告します。
【基調講演】テーマ:「震災と原発事故の経験・そこから平和のためにできることは何か」
(1)2011.3.11 に始まった仙台教区の動き

講師:東京教区名誉補佐司教
幸田 和生
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。マグニチュード 9.0この震災で、仙台教区の岩手、宮城、福島に大津波が押し寄せ、死者・行方不明者は 18,000 人以上にのぼった。
3月16日、仙台教区サポートセンター設置。カリタスジャパンの支援。全国からボランティアが集まって来た。ベースの設置とそこでの活動始まる。
3月24日、臨時司教総会で、オールジャパン体制で支援すると決定。
シスターズリレー。各教区・修道会からの応援司祭派遣。
6月13日、司教総会で、支援活動の地区割を決める。
大槌ベース(長崎教会管区)、大船渡ベース(大阪教会管区)、原町ベース(東京教会管区)、障がい者支援センターかまいし(名古屋教区・AJU 自立の家)
(2)原発事故とカリタス南相馬の働き
2011年3月11日、震災と津波によって、東京電力福島第一原子力発電所、重大事故発生。
3月12日、国が半径20㎞以内避難指示(避難者数:最大16万人以上)3月15日、福島第一原発から大量の放射性物質が拡散。20 ㎞~30㎞に屋内退避指示。バリケードができる。4月22日、避難指示区域として、警戒区域(20㎞圏内)、20㎞~30㎞は緊急準備避難区域。
浜通りにある南相馬の原町教会は、原発から北へ25 ㎞に位置している。4月24日、カトリック東京ボランティアセンター(CTVC)を立ち上げる。7月幸田司教とCTVCスタッフ、初の福島現地視察。
原町教会と、白河教会の傾聴グループみみずく、松木町の愛の支援グループなどと連携。
原町教会には、仙台教区の梅津神父様がおられた。そこで、何をしたらよいかを伺うと、「私たちと一緒にここで祈ってください」と言われた。9月30日、原町区など20㎞~30㎞の緊急避難準備区域の指定解除。
11月8日、日本カトリック司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」
2012年4月1日、警戒区域と計画的避難指示区域を3つに再編~小高区の立ち入り禁止解除。小高区に立ち入りができるようになった。小高区内の家に帰る人々の庭の草刈り、家の片づけ、草木の伐採などの肉体労働のボランティア活動が数年続いた。
- 避難指示指解除準備区域
- 居住制限区域
- 帰還困難区域
2012年6月1日カリタス原町ベース開設。南相馬市原町区青葉町に移転。それまでは、元保育園の旧園舎を借りていた。マリアの宣教者フランシスコ会修道会原町修道院、聖心会、援助マリア会、聖母訪問会などが来てくださる。
2019 年4月21日、一般社団法人カリタス南相馬設立。総会‐幸田司教が代表理事に就任。
11月、台風19号と豪雨災害の災害ボランティアを始める。2020年3月、コロナ・パンデミックにより、宿泊者受け入れ中止。
12月、コロナ禍の影響を受けた外国人労働者、困窮世帯への支援開始。2022年3月13日、南相馬市社会福祉協議会との「災害時の協力に関する協定」締結。
3月16日、福島沖地震(M7)。屋根ボランティア受け入れ・調整2023年8月24日、ALPS 処理水の海洋放出開始。2024 年1月1日、能登半島地震発生(物資支援、スタッフ支援)。その支援第1陣に、幸田司教も参加し、具体的な支援を決定。
7月、カリタス食堂開始。生活困窮家庭、母子家庭、父子家庭などの子どもとその親に食事を提供するだけでなく、その後の遊びや話し相手にも携わっている。
(3)復興支援活動を通して見えてきたもの
1. いのちの尊さ、かけがえのなさ
福島の津波で亡くなった人より、震災関連死の方のほうが多い。避難によって亡くなられた人が多い。自死も多い。
2. 避難の過酷さ
長期にわたる避難。福島から避難した人はもっと深刻―いじめや差別に遭う。
原発のために、戻れる可能性が薄い。若い人々は避難先で就職をし、そこで新しい生活を始める。
福島に戻る気はない。しかし、お年寄りは、どうしても故郷に戻りたい。
3. 人と人が引き裂かれる体験
女川原発は、避難経路の計画を立てて、再稼働するということは、事故が起こることを認めているということだ。まずどうやって逃げるのか、この避難の過酷さをどうするのか。
復興住宅に入っても、以前のご近所さんではない、知らない人同士の集まりである。若い人は、原発近くで子育てはできないと言い、都会に出ていく。老人は何と言っても、故郷に帰り、生活したいと言う。
大切なことは、生きている人への共感。困っている人がいれば、手を差し伸べようとすることができる人。
南相馬の活動センターで活躍していた松本光雄さんの言葉をご紹介したい。それは、「できる人が、できる時に、できることをする」大切なのは、人として共感すること。人として。国籍ではなく、すべての人が助け合って生きることである。
(4)平和のために何ができるか
体験は素晴らしかった。しかし、今の日本と世界は確実に軍備を拡張し、戦争、死、破滅に向かって歩んでいるようである。その中で、何ができるか。
- 排他主義と戦う。現代社会には「偽情報」が多い。「偽情報」とどう戦うか。
- ヨハネ23世は、1963 年に「パーチェム・イン・テリス」という回勅を出された。これは、全人類に宛られ、全世界に平和を訴えたもの。核戦争の時代になったが、日本の平和憲法の精神を取り戻さなければならない。
- ドナルド・トランプに学ぶことは、平和がお得だと訴えること。このような交渉はよいが、恫喝は拒否。戦争より平和のほうが大切。
- 「戦争のほうがマシ」と思わせるほどの社会・経済状況を作らない。
- 「時間は空間にまさる」とフランシスコ教皇が発言されたが、対話の可能性を信じ、時間をかけて平和を作り出していかなければならない。
- 「たとえ殺されても戦争にノーと言う」。これは瀬戸内寂聴さんの言葉であるが、これは私たち宗教者の言葉でもある。
【シンポジウム】テーマ:「原発と向き合うなかから、目指すべき未来を探って」
シンポジスト:
- 舘脇 章宏/「みやぎ脱原発・風の会」事務局長
- 中筋 純/写真家・フリーライター・編集者 「俺たちの伝承館」館長
司会進行:
- Sr. 古屋敷 一葉(援助修道会会員)

舘脇 章宏氏 中筋 純氏 古屋敷 一葉氏
まず、舘脇章宏さんは「原発と向き合うなかから、目指すべき未来を探って」と題して、話し始められた。舘脇さんは、女川原発の再稼働に反対してきた人である。しかし、10 月30日、女川2号機の再稼働が認められた。女川原発は、牡鹿半島という立地条件のところに建てられている。福島原発と同じ型の「BWR」型原子炉が使われている。福島原発事故が起こったとき、この原子炉の危険性が指摘されていた。しかし、東北電力は再稼働を決めた。
そこで、私たちは、再稼働を認めないということを示すために、毎週金曜日に「宮城金曜デモ」をはじめた、今まで587回のデモをした。金曜日にデモを終えた後、この元寺小路教会で話し合いをしていた。この場所は懐かしい場所だ。
女川は東日本大震災の時、被害を受けなかったわけではない。女川には18mの津波が押し寄せた。町の3分の2の世帯が津波に遭った。人口の8% の人が死んでいる。原発が爆発しなかったからといっても、非常に多くの亀裂やひびが入った。基準地震動700 ガルは妥当なのだろうか?「第7次エネルギー基本計画」で、政府の原発回帰の態度が鮮明になった。原発は安全だという「安全神話」はもう信じられていない。原発が安いということにも嘘がある。このまま再稼働を推し進めることは、分裂を生み出すことになる。
原発のアキレス腱と言われるものは、「核のゴミ」。「高レベル放射性廃棄物処理場」は、どこにもつくれないという大問題がある。
舘脇さんが大切にする3人の言葉がある。 ①鎌田慧さんの言葉「原発も高層ビルもいらない」―金まみれの社会からの脱却。②小出裕章さんの言葉「危険だからとか、そういう話ではないのです。原子力というのは、徹頭徹尾、差別的なのです」。③「一万年の旅路」「子どもたちの子どもたちの子どもたちのために」7代先まで考える。
中筋純さんは、東日本大震災原子力伝承館を見ると、見る者の視線を上に向けさせるようにつくられている。将来に心を向けさせるつくりになっている。それに対して長崎の原爆資料館は、見ていると、意識が下に下がってくると話された。
2007年から、チェルノブイリ原発のその後を記録。2011年3.11後、福島の原発事故被災地記録開始。2016 年、チェルノブイリと福島の写真展の全国巡回を始める。2023年、小高区に「俺たちの伝承館」を建て、館長として活動している。
彼は、視覚を通して、原発事故を見るように勧める。見えているようで、見えないものはないか、などを通して、真実に気付けるように導いている。
教区の諸活動
仙台司教区 司牧奉仕者例会を開催
12月1日(月)10:00~15:00、カトリック元寺小路教会信徒ホールで、2025年度第6回(12月)司牧奉仕者例会が開催された。
今回の例会では、10:30~14:00まで、宗教法人カトリック仙台司教区として初めて、仙台教区内の司祭、信徒宣教師だけではなく、「子どもと女性の権利を守る委員会」の委員、教区事務局の職員も対象に「ハラスメント防止研修会」を行った。当日は34人が参加した。
講師はNPO法人ハーティ仙台の代表理事・八幡悦子さんを招き、カトリック関係団体ではない現場で日夜、セクハラ問題に取り組んでいる生の声を聞き、現代社会の負の現実に目を向けた。
これは、2016年、日本のカトリック教会が、四旬節第2金曜日を「性虐待被害者のための祈りと償いの日」と定め、その日に当たり、そのためのミサがささげられ、2024年に、「カトリック仙台司教区 性虐待、性暴力、ハラスメント防止決意表明」が宣言された。
その宣言に基づいて、これまでも研修会が行われてきたが、今回は、非常に具体的な事例を挙げながら、セクシャルハラスメントが何であるか、をまず、「性暴力の認識度チェック」という5つの問いに答えることから始まった。
セクシャルハラスメントは、性暴力であり、それによって、被害者は仕事も失い、精神的なダメージも受けることが多い。これは、すべて加害者が意識していなくても持っている女性蔑視や弱い人に対する蔑視であり、いじめやDVと同じくすべて人格蔑視からきていることが原因である。
セクハラには、環境型と対価型とがあるが、力の差がある関係での性的関係はセクハラの可能性がある。例えば、先生と生徒、上司と部下、医者と患者、カウンセラーとクライアント、刑務官と囚人、保護施設の職員と保護されている人、窓口の人と相談員、大
人と子どもなどの関係で、セクハラは起こりやすい。
セクハラを受けても泣き寝入りではなく、被害を相談し、解決を求める権利がある。また、事業主に対して、損害賠償を求める裁判をすることもできる。
セクハラを防止するために有効な言葉は、NO(いやだ、やめて)。GO(その場から離れる)。TELL(だれかに相談する)である。この3つの言葉で表し、はっきりした態度で拒否することが有効であり、基本である。
多くの事例を引きながら、現代社会で、いかに多くの人が被害を受けて苦しんでいるか、その心の傷はなかなか癒すことができないなどの話は具体的でわかりやすいものであり、うなずきながら、メモを取りながら、参加者はみな真剣に聞いていた。
教区広報委員 Sr.長谷川 昌子
各地区からのお便り
第1地区より
〈三八ブロック/八戸塩町教会〉
2025聖年 仙台巡礼
2025年9月15日(月)敬老の日、現地集合、現地解散で15人の方々が参加して仙台巡礼を行いました。
パトリック神父様と信徒14人の計15人が、元寺小路教会2階小聖堂で担当司祭のイグナシオ・マルティネス神父様たちのお出迎えを受けて、イグナシオ神父様から、ご挨拶とカトリック元寺小路教会仙台カテドラルの紹介があり、1階大聖堂入口の「聖年の扉」の前で、扉の説明を聞き、扉を通り大聖堂に入り、司教座など大聖堂の説明を聞き、お祈りをささげ、2階小聖堂に戻り、パトリック神父様の司式でミサをささげました。

ミサのあと、元寺小路教会と広瀬川殉教碑巡礼のスタンプを「巡礼のしおり」に押し、聖ウルスラ修道会一本杉修道院へ向かいました。
修道院では、シスターたちの出迎えを受け、歓迎していただきました。
Sr.佐藤が描いてくれたホワイトボードの「welcome message」が印象的で感激でした。3月まで塩町修道院で私たちを導いてくださったシスターたちからの歓迎を、感慨深く受け取りました。

集会室をお借りして昼食をいただき、昼食後、聖堂でシスターたちとみんなでお祈りと聖歌「希望の巡礼者」を歌いました。
集会室に戻り、思い出話に花を咲かせました。
修道院から巡礼記念のカードとメダイをお土産にいただきました。
そのあと、広瀬川殉教碑で祈りをささげ、聖歌を歌い慰霊をして仙台巡礼を終了しました。
牧山 智廣(八戸塩町教会)
第1地区 聖年 韓国巡礼

木浦(モッポ)バジリカの大聖堂

海美(ヘミ)国際殉教聖地
第1地区では、聖年の2025年10月20日から25日まで、パトリック・李両神父様と信徒20人で念願の韓国巡礼の恵みを賜りました。韓国のカトリック教会、とりわけレジオマリエ発祥の原点となった木浦(モッポ)聖地と幼きイエズスの聖テレジアの聖遺骨を安置するバジリカ、聖アンドレア金大建の生家のある松山里(ソルメ)聖地、韓国カトリック教会の中心ともいえるソウルの明洞(ミョンドン)カテドラル、熱心にロザリオを唱えながら歩く巡礼者の祈りの模範を目にした切頭山(チョンドルサン)殉教聖地、名前も残せなかった殉教者の信仰を模範と証する海美(ヘミ)国際聖地、シモン金担当司祭と現地共同体と共にミサにあずからせていただいた西小門(ソソムン)殉教聖地ほかを訪問。巡礼は、「何も持たずに神様に信頼して委ねる」(パトリック神父様)、「キリストに出会いキリストと共にキリストの道を歩む、毎日の瞬間瞬間が恵みで巡礼の旅路」(李神父様)と教えていただきました。初めて訪れた隣国の皆さまは親切清楚上品な方々でありがたかったです。お留守番いただいた方々をはじめ多くの皆様に深謝いたします。
松田 大(浪打教会)
第3地区より
〈三陸ブロック/米川教会〉
「聖年」の巡礼教会に指定されて
2024年の秋(10月頃)だったでしょうか?担当司祭のロペス神父様から「大籠と米川教会が来年の聖年巡礼教会になった」というお話がありました。それってどういうことなのか?と私はよく理解しないまま話を聞いていたように思います。それからしばらくたって、教区の事務局から「聖年の巡礼教会ということでいいですか?」という打診の連絡がきました。うちの教会は神父様が常駐していないし、ミサも隔週(第2、第4土曜)ですし、ミサにあずかる信者も5~6人という状態です。果たして、訪問して来る信者さんたちの対応ができるのだろうか?という心配がありました。しかも普段の教会の管理は、近所に住む2、3人で行っているのが現状です。事務局と相談し、連絡・調整の窓口は教区にしていただき、私たちができる範囲でやり繰りするということで、私たちも納得し、「聖年」の巡礼教会をお引き受けするということになりました。
ところが、うちの教会が指定された1月~3月の期間には、巡礼者がほとんどありませんでした。巡礼教会になると、結構な数の問い合わせがあると思っていましたから、ちょっと拍子抜けしてしまいました。また、それとは反対に、ホッとしたというのも本音です。
少し暖かくなってきた4月頃から問い合わせの数が増えてきました。その中でも韓国からの巡礼団が目立ちました。4月に1回、5月に1回、9月に3回、10月に1回の年間通して6回、巡礼団がいらっしゃいました。1回あたり約30名です。韓国の旅行会社が企画するツアーなのですが、秋田の「涙のマリア像」や大籠の殉教地と資料館などを巡り、一緒に東北の観光地等(平泉や松島)の見学をして、うちの教会でミサにあずかるというものです。当然、ミサは韓国語です。私ともう一人の信者の畠山さんがミサの準備をし、一緒にあずかっています。言葉は分からないのですが、そこは同じカトリックの信者ですので、今、何の祈りをしているかは、おおよそ分かります。ミサの終了後に私が米川教会の代表としてあいさつする時に「アンニョンハセヨ」と知っている数少ないハングル語を言うと、皆さん手を叩いて喜んでいただきます。いつもたった二人での対応ですが、言葉は分からなくても同じクリスチャンであるということが、何だか心が通じ合ったように思い、幸せな気持ちになりました。

一関教会の方々と三経塚にて

一関教会の方々との米川教会でのミサ
国内では、個人的に問い合わせがあり、ご家族で来られる方がありました。また、殉教地ということで、歴史に興味のある方々の来訪もいくつかありました。10月から11月にかけては、最も訪問者が多く、大船渡教会、一関教会の信者さんが多数いらっしゃいました。特に一関教会の方々がいらした時には、最初、殉教地の三経塚を案内し、その後、米川教会でミサに共にあずかり、ミサ後には隣の信徒館にて昼食を食べながら懇談し、楽しい交流会になりました。
この1年を振り返り感じたことは、面識のない方々でも精神的につながっていると実感させられたことです。とにかく来られた方が例外なく素晴らしい方々で、私のつたない説明を真剣に聞いてくださり、喜んでくださいます。そんな方々と出会い、会話したり、一緒に祈ることができたということは、大きな喜びでした。巡礼教会に指定された当初は、不安が大きかったのですが、今になってみると、それ以上に幸せな気持ちになりました。神様のお恵みをいっぱいいただいたと感じます。
鈴木 星史(米川教会)
第4地区より
〈県南ブロック/大河原教会〉
兄弟姉妹のためのキリスト共同墓地の建立
宮城県南部で蔵王連峰を望む大河原町は、町の真ん中を流れる白石川の堤防を春に彩る一目千本桜が有名で、毎年復活節を祝うかのように咲き誇ります。

大河原教会では、今後増えてくると予想される一人暮らしや身寄りのない方々、また現在墓地を所有している方でも墓地を管理する親族が途絶えていく方々もおり、墓地問題は大きな課題となっています。その課題に取り組んでいくために、兄弟姉妹のためのキリスト共同墓地を多くの信徒の協力を得て2025年6月8日に、小野寺洋一神父様から祝別をいただき運用が開始できる状況になりました。
これからはキリスト共同墓地を必要とする方々が、帰天のときを迎えるときに、神様の豊かな恵みのなかで永遠の安息が得られるように、共同体としての役割を果たしていきたいと思います。神様の豊かなご加護がありますように!
本木 仁(大河原教会)
〈カテドラルブロック/元寺小路教会〉
聖年コンサート「オルガンの世界を訪ねて」
2025年9月21日に開催された~2025通常聖年コンサート「希望の巡礼者」典礼聖歌の世界を訪ねて~に続き、第2弾として11月22日(土)午後2時から、大聖堂で行われました。

今回は、元寺小路教会オルガン奉仕者グループと、毎回オルガン研修会の指導をしてくださっている坂戸真美さんが特別出演してくださるパイプオルガンのコンサートです。普段、ミサの中で聞きなれている典礼聖歌の演奏とは違い、パイプオルガンの多彩な音色が大聖堂に響き渡りました。
この感動をもっと多くの方たちにお伝えするために、これからも開催できればと願っています。
関 毅(元寺小路教会)
〈カテドラルブロック/元寺小路教会〉
聖年巡礼弾丸バスツアー
四半世紀に1度の聖年という機会に、カテドラル元寺小路教会は巡礼指定地となって毎日のように巡礼者をお迎えしてきたものの、また聖年の開幕・閉幕式をはじめコンサート等のイベントを開催してきたものの、教会として他の巡礼地を訪れる企画がなく、このままでは聖年が終わってしまうと慌てて計画されたのが、11月24日のバスツアーでした。大型1台中型1台に、62人の参加者が分乗しました。
巡礼と名乗るからには自分の足が基本でしょうが、どうせなら徒歩では行けない所を日帰りで巡るという欲張りなコースは、まず指定地である西公園の広瀬川殉教碑に立ち寄った後、関連するDVDを鑑賞しつつ東北自動車道を北上し、岩手県奥州市の水沢へ。ここには今回の巡礼指定地はありませんが、広瀬川で殉教したカルヴァーリョ神父が捕縛された地であり、それはキリシタン武士後藤寿庵が、400年余り前にこの領地を奥州キリスト教宣教の中心としていたからです。

後藤寿庵屋敷跡の寿庵廟にて

水沢教会にて
一行は寿庵廟や教会跡の毘沙門堂を散策した後、水沢教会でマルコ神父様や信徒の皆様の温かい出迎えを受けてミサをささげ、昼食後は一路南東に向かって一般道を走り、一関市藤沢町の大籠キリシタン資料館へ。ここは広瀬川殉教の約20年後に大規模な殉教があった地であり、殉教者309人の数の階段を登る丘の上のクルス館には、大半の参加者が登り切りました。
短い秋の日が暮れんとする中、山の中にイルミネーションが輝く巡礼指定地の大籠教会を最後に訪問、ここを守ってこられた皆様の努力を実感しました。帰りの車中では貸し切りバスだからこそできるロザリオを全員で唱えつつ、感謝のうちに巡礼の一日を締めくくりました。
荒賀 久仁夫(元寺小路教会)
〈カテドラルブロック/元寺小路教会〉
待降節始まりの祈りのつどい(イルミネーション点灯式)
元寺小路教会大聖堂の馬小屋とクリスマスツリーの飾りつけは、毎年教会学校の子どもたちと仙台白百合学園小学校合唱クラブのみなさんが行っています。待降節前の11月29日(土)午後5時、この子どもたちといっしょに、約100人が大聖堂前に集まり、待降節始まりの祈りのつどいが行われました。

司式は、イグナシオ神父様とドミニク神父様、申助祭様。照明が落とされた中、聖歌「天よ露をしたたらせ」を歌い、祈りと歌のつどいが始まりました。神父様の祈りとお話しの後、カウントダウンとともに、仙台白百合学園小学校合唱クラブによるファンファーレの合唱で一斉に壁面のイルミネーションや大聖堂の馬小屋、クリスマツリーが点灯し、拍手がわき起こりました。



祈りの後、仙台白百合学園小学校合唱クラブの演奏を聞きながら温かい飲み物をいただき、最後は全員で「あめのみつかい」と「もろびとこぞりて」を歌って、平和なクリスマスが訪れる事を願いました。
関 毅(元寺小路教会)
第5地区より
〈中通り北ブロック/野田町教会・松木町教会〉
司祭叙階式
2025年11月8日(土)13時から野田町教会において、ガクタン エドガル司教様司式のもと、エスコラピオス修道会の司祭叙階式が行われました。

司祭受階者
- トマス・アクイナス キム・ジェヨン
- ペトロ チュオン・クオック・クオン
- ドミニク ヴ・ドゥック・フング
ミサには、エスコラピオス修道会総長様、アジアパシフィック管区長様はじめ、エスコラピオス修道会の神父様方と仙台教区の神父様方34人、そして東京からエスコラピアス修道会、仙台教区内の教会の宣教者、修道会のシスター方、一本杉教会からの巡礼団や、第5地区内の小教区からの信徒の方々などを含む200人余りがあずかり、心をひとつにして新しい司祭誕生の喜びを共にしました。受階者の身内の方々も韓国、ベトナムから駆けつけられました。

ガクタン司教様は、新しい神父様がこれから歩むであろう様々な道のりに対して、ご自身が歩まれてきたことを含めた思いの丈を熱い言葉に込めて伝えてくださいました。聖堂に集まった私たちもその言葉・お姿に、司祭の道の困難さ・喜びを含む大きな大きな道のりを思いました。3人の神父様誕生の大きく素晴らしいミサにあずかることのできた喜びをたくさんの方々と分かち合いました。その思いで、これからも共に歩みたいです。
叙階式の後、信徒会館で祝賀式が行われました。
三浦 久美子(松木町教会)・渡邉 祐子(野田町教会)
仙台教区のホームページが変わりました

仙台教区のホームページは、昨年12月のクリスマスにリニューアルしました。パソコンの他、スマートフォンにも対応しています。情報を多国籍の方にもご覧いただけるように多言語(英語、スペイン語、ベトナム語、タガログ語)でも表示できるようになりました。
司教様のメッセージや教区からのお知らせのほか、小教区の情報などは、カトリック中央協議会発行の「情報ハンドブック」に基づいて掲載しておりますが、これから徐々に更新して行きますので、ご了承ください。
ホームページアドレス
編集後記
1年間続いた通常聖年「希望の巡礼者」は閉幕しましたが、司教様は「私たちの旅の先には必ず希望の門は開かれている」と語られています。この言葉を念頭に、これからも希望が持てる情報をお届したいと思います。
仙台教区広報委員会では、皆様から原稿を募集しています。投稿は随時受け付けていますので、下記のアドレス宛てにメールで添付ファイルでお送りください。手紙の場合は教区事務所宛てに郵送してください。 (関 毅)
次号発行予定日
4月1日(水)
原稿締め切り日
2月22日(日)
« 前へ