カトリック仙台司教区 Catholic Sendai Diocese

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カトリック 仙台教区報 No.263

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人生の過越

アレルヤ
主のご復活のお喜びを申しあげます

何年も前の復活徹夜祭のことです。ミサの第一部となる「光の祭儀」を始めようとした時、集まっていた教会ロビーに小学一年生ぐらいの男の子とお母さんが入ってきて、その子が火鉢の中の燃えさかる炭を見て、お母さんに「ヤキニク?」と何気なく言ったのです。参加者たちはこの子どもの声を聞き、ほほえましく眺めていました。この後、洗礼式も含まれたミサが初めから最後まで荘厳に行われました。

復活祭の前に、三日間にわたる典礼に参加するのが理想的です。『聖なる過越の三日間』と呼ばれる連続した典礼は、聖木曜日の「主の晩餐の夕べのミサ」、聖金曜日の「主の受難」、そして聖土曜日の「復活の聖なる徹夜祭」で構成されています。

聖木曜日のミサは、聖餐と司祭職の制定を記念するものですが、洗足式も含まれます。これは、「わたしが行ったように、あなたがたも行いなさい」(ヨハネ13:15)という主の命令を想起させるものです。すなわち私たちも互いの足を洗い合うべきだという教えです。洗足の具体化は、私たちが日常生活で差し伸べる思いやり、助け合い、互いのケアです。

前日の祭儀が沈黙のうちに終わったように、聖金曜日の主の受難の祭儀は、司祭が祭壇の前にひれ伏して祈る中、沈黙のうちに始まります。この祭儀の中心は、主イエスの受難物語の朗読と十字架の礼拝です。十字架の前で私たちは儀式を行うのではなく、この世で苦しみ、困難は消え去りませんが、主イエスの思いやり、謙遜、神への従順という模範に倣って主の道を忠実に歩めるようにと願うのです。聖体拝領の後、司祭と会衆が再び沈黙のうちに退出します。

主の復活の徹夜祭は、冒頭で言及した新しい火の祝福から始まります。司祭がこの新しい火で復活のろうそくをともしながら「輝かしく復活したキリストの光が、心のやみを照らしますように」と唱えます。キリストの光は、この世に差し込むのです。この夜の祭儀では焼かれた肉には言及されません。しかし今夜のミサでも毎回のミサと同じように司祭は聖体拝領に招く際、「世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と言います。

聖木曜日の夕べのミサの第一朗読は、出エジプト記の12章からですが、その中で、神様はイスラエル人を奴隷状態から救い出すため、小羊を犠牲にささげ、その血を戸口の両柱に塗り、その小羊を食べるよう命じられました。

この出来事は「過越」と呼ばれるようになりましたが、天使が小羊の血を見て家を通り過ぎ、その家の人々を救ったからです。神様は民に、毎年過越の食事を取ることで、この過越を記憶するよう命じられました。食事を取りながら、民は神様がどのようにして民をエジプト人の手から救い出し、イスラエル人を御自身のために聖別された民とされたかを語り継いでいきます。「あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を討たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と」(出エジプト記12:26-27)。

主イエスを神の小羊と理解する裏付けは、エルサレムでの最後の晩餐における主の言行にあります。弟子たちと過越の食事を行う中、主イエスはパンをまもなく犠牲となる自らの体とし、ぶどう酒をまもなく流される自らの血と示したことで、過越の食事に新たな意味を与えられました。

こうして主イエスは私たちの過越の小羊です。主は私たちのために御自身の体をささげ、私たちの救いのために御自身の血を流されます。イスラエルの民が奴隷状態から救い出されたように、私たちも欲望、憎しみ、わだかまり、罪の束縛から救い出されるのです。

主イエスが弟子たちと共にした過越の食事、すなわち聖木曜日に私たちが記念するこの食事は、キリストご自身が制定された聖餐へと発展します。

私たちは、人生の道を通り過ぎようとしています。主イエスは、私たちの人生の友であり、命の糧を与えてくださる同伴者でもあります。主イエス・キリストの光、そして共に歩む道の仲間からの支え、理解、大切にされていることを感謝し、みなさんに主のご復活のお喜びを申しあげます。

仙台教区 教区長 
ガクタン エドガル司教

 

広瀬川の殉教者を偲び仙台キリシタン殉教祭開催

1623年(元和9年)旧暦の大晦日から翌年正月4日にかけて仙台藩の城下を流れる広瀬川で、ポルトガル人宣教師ディエゴ・カルヴァーリョ神父と8人の信徒が寒中水責めにより殉教した。

毎年、第4地区では殉教者たちを偲び、広瀬川のそばの仙台西公園に建てられた殉教碑の前で殉教祭を開催している。今年は2月22日(日)午後1時30分から、約120人が集まり祈りが始まった。

司式はガクタンエドガル司教、ロメロ・アルマンド・ツマリワン神父、申東賓助祭。

最初に聖歌「キリストのように」を歌い、続いて「仙台キリシタン殉教録」が朗読され、当時の壮絶な殉教と愛熱の炎に燃えていた信仰の強さに思いをはせた。参列者は広瀬川に向かって黙祷をささげた。
式の中でガクタン司教は次のように述べられた。

はじめの言葉

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。

402年前、9人の信仰の先輩たちが苦しみの中から「ゼウス・マリア、いと聖き秘跡は賛美せられ給え」と唱えていました。

平和な今の時代、私たちは自由に礼拝を行なっていますが、試練と直面する時、希望を失うことに陥ってしまうこともあります。この集いを通して、殉教者たちの生活を思い起こし、その彼らの信仰と忠実さの源に新たに触れましょう。

殉教祭メッセージ

はじめの言葉で、私は「殉教者たちのその信仰と忠実さの源」を言いました。私たちは、ミサのことを生活の源泉と表しています。その秘跡の中で、主イエスのお言葉と聖体を命の糧としていただきます。

今日の主イエスの言葉は、幸いの言葉と言います。真の幸せの源となる言葉です。

主イエスは普通の人々へ、私たちのような者たち、日々の生き方について道を示してくださいました。

  • 最近誰かと「前に進みましょう」と心の中で決めたことがありますか。その決心は、「憐れみ深い者 は幸いである」という言葉からでしょうか。
  • ある状況で自分が無力だと気づき、神に頼るしかなかったことはありますか。また、正しいことが極めて困難に見え、確信が持てなくて、この時こそ神に助けを求めたことはありますか。その時、主イエスの「心の清い人は幸いである」という言葉を思い出したでしょうか。
  • 何らかの喪失に深い悲しみに堕ち、それを乗り越え、後になってアッそれが自分を成長させてより強い人間にさせてくれたと気づいたことはありますか。それは「悲しむ者は幸いである」ということではないでしょうか。

殉教者たちは、私たちと同じように、不平等・不正・暴力・多様な価値観が存在している社会の中で、毎日生活を営んでいました。私たちは、幸せを求めながら肉体的、また精神的に病、虚しさ、疲弊を抱えてしまいます。神が私たちを癒し、私たちの空虚(くうきょ)を満たしてくださるのです。これは、私たちの希望の源です。主イエスが示してくださる道を共に歩んでまいりましょう。

共同祈願は、担当教会の畳屋丁、八木山、一本杉、元寺小路の各教会の代表が唱え、最後に殉教者をたたえる聖歌「おおしくも」を歌い終了した。

教区広報委員 関 毅

 

各地区からのお便り

第1地区より

〈三八ブロック/八戸塩町教会〉
88分の1回目の記念ミサ
〜聖ウルスラ修道院感謝のミサ〜

昨年2025年3月末で、聖ウルスラ修道会塩町修道院が閉院したことは、この教区報でもお知らせいたしました。

塩町修道院の閉院に際し、八戸塩町・鮫町両教会の有志88人による献金で「霊的花束」を贈り、向こう88年間毎年、アンジェラ・メリチの祝日である1月27日の直前(当日の場合はその日)の主日に記念のミサをささげることとしました。

その第1回目の記念のミサを、1月25日(日)の主日に八戸塩町教会において、ジャスティン・ルクサ神父様の司式でささげました。

祭壇の前には、『アンジェラ・メリチ』の絵を掲げ、みんなが感謝の気持ちでミサにあずかりました。

昨年末の八戸塩町・鮫町両教会合同の待降節黙想会には、一本杉修道院からSr.石井を講師にお招きして指導を仰ぎました。

閉院した後にも、このような形で聖ウルスラ修道会との交流は続いております。

昨年の記事にも書きましたが、両教会の信徒たちは、聖ウルスラ修道会塩町修道院のシスターたちの献身的な奉仕に、そして熱心なご指導に、いつまでも感謝の気持ちを忘れずに持ち続けております。

牧山 智廣(八戸塩町教会)

 

第2地区より

〈岩手中部ブロック/花巻教会〉
花巻教会献堂70周年記念ミサ聖祭並びに記念祝賀会

2025年12月21日(日)午前11時から「カトリック花巻教会献堂70 周年記念ミサ聖祭並びに記念祝賀会」が、同教会にて仙台司教区ガクタンエドガル司教様、第2地区長マルコ・アントニオ・デ・ラ・ロサ神父様、同盛岡ブロック板垣勤神父様、および仙台司教区の氏家和仁神父様をお迎えして、整然とした雰囲気の中で行われました。

第2地区の来賓として四ツ家教会をはじめとする7教会から代表者が参加してくださいました。また、花巻教会から輩出した平賀徹夫名誉司教様および滋賀県の及川正神父様からは、お祝いのメッセージが届きました。

参加者は来賓の16人と花巻教会の信徒29人、併せて45人と満席となりました。

ホールでの祝賀会では、藤原尚彦実行委員会委員長が大型テレビに、花巻教会の初代のゲーヴィレル神父さんの活躍から始まる先人たちの70年史を20分間にわたり放映し、皆さんが感動しました。また、20ページにわたる「70周年記念誌」を参加者にお配りしました。

挨拶で、司教様、8教会の皆様に感謝の言葉を述べ、今後も花巻教会に光を送ってくださるよう、さらなるご支援をお願いしました。

この後、ガクタン エドガル司教様から心温まるご祝辞をいただきました。

花巻教会から輩出された3人の司祭のうち、今回は板垣勤司祭がご多忙の中をご臨席いただき、ご挨拶をいただきました。岩手、花巻で誕生した神父が、他県で神父を務めて来て、初めて自分の出身地で、ごミサをささげることができて感慨深いとのお話しにこちらも感じ入りました。

全員で「ごらんよ空の鳥」と「希望の巡礼者」を大合唱し、お開きとなりました。

信徒会長
小田代 将正(花巻教会)

 

第4地区より

〈カテドラルブロック/元寺小路教会〉
子どものための祈りのつどい 
広瀬川殉教碑巡礼

2月11日(水・祝)、仙塩地区教会学校リーダー会主催の「子どものための祈りのつどい 広瀬川殉教碑巡礼」が行われました。

幼児から中学生までの子ども、イグナシオ神父様、ドミニク神父様、申助祭様、保護者の皆さん、リーダー合わせて約30人ぐらいが参加しました。

元寺小路教会に集まったみんなは、初めに仲良くなるゲームで大人も子どもも盛り上がり、緊張もほぐれました。その後、大聖堂の2階にある深沢守三神父様がつくられた殉教碑の原型の前で、イグナシオ神父様から殉教のお話を教えていただきました。

広瀬川の殉教碑は高いところにあるのでお顔もよく見えないけれど、こちらではすぐそばでご像のお顔を見ることができて、殉教者を身近に感じることができました。

その後、2月にしては暖かい天候の中、広瀬川までみんなで歩きました。殉教碑前では、私たちも殉教者の信仰に倣うことができますようにとお祈りをして、お花をおささげしました。

中村明子(元寺小路教会)

-特集-
第42回日本カトリック正義と平和全国集会2025仙台大会

仙台教区報No.261・No.262に引き続き、2025年10月13日に元寺小路教会大聖堂で行われた、仙台大会3日目の分科会と派遣ミサを報告します。

分科会

13日は9つの分科会が開かれた。

この分科会も最初に建てられた3本柱にそって、平和という柱として①②⑥が、国籍を超えた柱として⑤⑦⑧⑨が、東日本大震災の柱には、③④が企画された。これは、仙台司教区として平和を考えるうえでふさわしい分科会として受け止められ、午前と午後に分かれて1人が2つの分科会に参加できるように配慮した。これによって、仙台大会の後、一人一人が自分の道として歩んで行ける一歩が踏み出せるものとしいくためである。

会場は、元寺小路教会の大聖堂、小聖堂、1階ホール、2階会議室の全てを使い、サテライト会場として、北仙台教会の信徒ホールで、「ホームレス支援活動—炊き出し25年」の分科会が行われた。

分科会①
「戦後80年 広島の原爆、そして教皇フランシスコ」

講師:梶山義夫 イエズス会司祭  
イエズス会社会司牧センター所長

広島での原爆と言うとすぐ思い出されるのは、イエズス会の神父たちの活動である。イエズス会の社会司牧センター所長の梶山神父が、イエズス会の教皇であったフランシスコについて語る。

広島に原爆が落とされたのは、1894年清国との戦争を指揮する大本営が広島に置かれたためである。さらに第二総軍司令部が置かれ、戦時における軍隊、物資等の船舶輸送部があった。

8月6日原爆投下。中国軍管区司令部、陸軍部隊は直撃を受け壊滅した。第二総軍市営部は壊滅を免れたが、機能停止となった。

支援や補償

1957年、「原子爆弾被爆者の医療等にかんする法律」ができ、被爆者は国の費用で医療が受けられるようになった。

1968年、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」。これによって、被爆者の福祉を図るため、被爆者への健康管理手当の支給などが始まった。

その後、1994年には、上記2つの法律を一本化した「被爆者援護法」ができた。

国内の被曝者に対してだけではなく、在外被爆者に対しても、2002年から始まったが、2016年1月1日から、日本国外に居住する被爆者についても、居住国で負担した医療費を被爆者援護法に基づき支給できるようになった。

しかし、忘れてならないのは、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(たなか てるみ)代表の授賞式での発言である。「何十万という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております」加えて、アドリブで「もう一度繰り返します。原爆
で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたい」。

その後、峠三吉『原爆詩集』の心に迫る詩の紹介と昨年放映されたNHK朝ドラマ『虎に翼』の主人公のモデル三淵嘉子さんが、1963年12月7日、東京地方裁判所で、広島や長崎で被爆し、家族を失った5人が、日本政府に賠償を求めた裁判の判決は、3人の裁判官が下したが、その一人が三淵さんであった。「原子爆弾投下は国際法に違反である」とした。

続いて、2020年、教皇フランシスコの出された回勅『兄弟の皆さん』と2015年に出された『ラウダート・シ』を引用し、私たちの歩むべき道はこの道なのだ、と示した。

分科会②
「沖縄の夢〜沖縄を戦場から非武装中立平和特区へ」

講師:ウェイン・バーント那覇教区司教

私たちは戦後80年と言うが、「軽々しく戦後80年」と言えない状況にあるのが沖縄である。

沖縄の中にある基地の問題だけを考えても、その広さ、そこから来る色々な問題があるのもご存じの通りである。さまざまな人権侵害にさらされ、自衛隊のミサイル基地も建設され、沖縄は戦争の最前線に置かれているようだ。

この沖縄が、沖縄の人々が、真の平和を得るためには、どうしたらよいのであろうか。

教皇フランシスコが、2019年11月に訪日された時、広島の平和記念公園で、次のようにおっしゃった。

「より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません」。「真の平和とは、非武装の平和以外にあり得ません」。

沖縄が、自治権を完全に取り戻し、あらゆる軍事力を拒絶して不戦を誓い、万国を結ぶ懸け橋となることができたら、と思っている。沖縄にはこれを意味する「万国津梁(ばんこくしんりょう)」という言葉がある。私は、沖縄を非武装中立平和特区にしたい。ぜひ、沖縄の過去と現在の姿を知ってほしいと思う。そして、未来の平和について、ご一緒に考えたいと思う。

分科会③
「福島原発事故の実相を伝え続けていくために!」
〜広島・長崎に原子爆弾が投下されてから80年を迎える今年改めて、福島県原発事故の実相について考え、分かち合ってみませんか?〜

講師:高瀬つぎ子(福島大学共生システム理工学類 
特任准教授 理学博士 カトリック信徒)

2011年夏、福島原発事故直後の長崎平和祈念式典で、長崎市の田上市長(当時)は、私たちに次のように問いかけらた。

「ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか?」「自然への畏れを忘れていなかったか? 人間の制御力を過信していなかったか? 未来への責任から目をそらしていなかったか?」

そして、この問いに対し、多くの方々は「『核に依存しない平和で安全な世界』をつくるために、渾身の力を傾けていくこと」を心から願われたと思う。

しかし、ウクライナやガザの紛争、そして、物価高や海外貿易の不安定性による経済不安などの中で、2025年2月に発表された政府のエネルギー基本計画は「原子力の最大限活用」の方向に大きく転換してしまった。

このような時だからこそ…

改めて、福島原発事故のさまざまな実相【①放射性物質による環境汚染、②地域社会のコミュニティーの分断、③原発の廃炉作業の現状と今後の見通し(汚染水、デブリ、放射性物質を含む廃棄物処理、廃炉作業従事者の労働環境問題など含む)、④原発事故時の避難の困難さ、etc.】について考え、分かち合いを行った。

分科会④
「東日本大震災14年の歩み」〜復旧・復興、そして今、今後の課題は〜

講師:根本摩利(一般社団法人カリタス南相馬所長)
菅原圭一(元カリタス大船渡ベース長
カリタスみちのく代表世話人)

東日本大震災による大津波で沿岸各地は壊滅的な被害を受けた。日本のカトリック教会はオールジャパンの体制で被災地支援をスタートさせ、被災地8か所にボランティア拠点(ベース)を立ち上げ、支援活動を続けてきた。今後、日本各地で発生が予想されている大地震や大津波などの大災害。その時、被災地や被災者に何が起こるのか、どう備えればいいのか、そしてどう支援すればいいのか。この14年のベースの活動を通して感じていること、見えてきたことを話した。

分科会⑤
「再稼働女川原発の危うさと未来への道筋」
〜被曝前提避難計画で命は守れない!原発は廃炉しかない〜

講師:日野正美(女川原発の避難計画を考える会 前女川原発再稼働差止訴訟団事務局長)

この分科会には、韓国から参加した23人が全員加わり、同時通訳で話がなされたので、理解しにくいところもあったのは残念だったが、韓国からの参加者の原発への関心の高さには、驚いた。

韓国からの参加者は、日本と同じような地震が多い国であり、福島での原発事故、女川原発の再稼働は、他人事ではないことが感じられた。

女川原発は、14年前の大震災と津波被害にあわなかったのではなく、被災している。確かに、爆発事故はなかったが、電気系統の1回線が正常に動いていたため、他の4回線は停止したが、危うく難を逃れたという状況であった。また、福島原発と同じ原子炉の形で、古い形だと言われている。

女川原発の再稼働が決定されたが、事故が起こる可能性があり、そのために安全に住民を避難させる計画ができているという。しかし、机上の計画であり、実現がおぼつかない計画である。県は、いざと言う時はバスの確保が約束されているという。しかし、バス協会も県も、バスの確保の責任があいまいである。バスの添乗員の確保も決まっていない。などの避難計画の実効性を争点に訴訟を起こしたが、敗訴した。

被曝前提の避難計画だと言われる避難計画で納得させようとしている県と東北電力の姿が、明確にわかる説明であった。女川原発が爆発したら、宮城県全域が汚染されることは免れ得ないだろうと感じられた話であった。

分科会⑥
「世界情勢・現代世界の平和の行方 ストップ・ザ・ジェノサイドinガザ」

講師:石川雅之(パレスチナと仙台を結ぶ会)

今、世界はどこへ向かって進んで行くのだろうか。パレスチナだけではなく、ウクライナ、ミャンマーなど、世界の各地で戦争、紛争がおこり、虐殺、ジェノサイドが起こっている。毎日のように、このようなニュースが報道されている。この報道に慣れてしまってはいけない。これは犯罪である。

遠い、よその国で起こっていることで、自分とは関係ないことではない。今、この同じ地球で、共に暮らしている大切な人々である。このこととしっかり向き合い、命の大切さを改めて考えなければならない。

分科会⑦

1. 「ハンセン病問題の過ちを繰り返さないために」
〜社会司教委員会発行冊子「全ての命を守る教会をめざして」をもとに考える〜

講師:園部英俊
(元日本カトリック部落差別人権委員会委員)

ハンセン病問題に対するカトリック教会の関りと何が問題であったのか、ということにしぼって話された。

カトリック司教協議会の社会司教委員会が発行した冊子が配布され、その制作発行に尽力された講師の話は長年ハンセン病問題だけでなく、信者として、教区内にある2つの国立療養所の入居者と関わって来られた方としての心に訴える内容であった。

まず、ハンセン病問題から学ぶことは、わが国が犯した人権上の歴史的にも忘れてはならない過ちであるが、過去のこととして終わらせる問題ではなく、今も苦しんでいる多くの人がおられることを忘れてはならない。

ハンセン病は、「らい菌」という細菌による感染症であり、伝染病ではない。

しかし、身体的変形などの後遺症によって、治癒していても、誤解や差別を受けてきた。

日本では、古代から中世まで遺伝病と誤解され、近世では隔離政策が取られた。無らい県運動も実施された。1956年、ローマ会議がマルタで開催され、「ハンセン病は感染性の低い病気であり、かつ治療しうるものである」として、①各国に差別的な法律の撤廃を要請すること、②病気に関する偏見や迷信を取り除くため、広報活動を行うこと、③早期発見、早期治療のためのさまざまな手段を講ずること、④患者は隔離ではなく、自宅で生活し……と言われていた。しかし、日本では1996年になってはじめて「らい予防法」が廃止された。

療養所で行われていたことの実態としては、強制労働、不妊手術、監禁刑などがあった。

不妊手術は、ハンセン病者に対する断種や堕胎などが行われた。これは、1948年に成立した優生保護法に基づくものであった。

2019年に、カトリック教会として謝罪声明を出したが、これでは不十分だという意見が出され、今日配布した「全ての命を守る教会をめざして」になった。

2.「優生保護法問題の全面解決を目指して」

講師:横川ひかり(優生保護法被害者と歩むみやぎの会事務局メンバー)

横川ひかりさんは、「優生保護法被害者と歩むみやぎの会」の事務局メンバーとして、仙台の精神薄弱者施設では、入所者たちに、何の説明もなく、堕胎手術を施された人が何人もいると聞いている。

ある人は、お姉さんが妹を連れて来て、中学2年の時に手術された。その意味も分からずに、手術をされ、その後、健康を害している。

まだまだ、多くの人がこの優生保護法故に断種や堕胎をされ、今も声を上げずにいる。この事実を知ってほしいと一緒に来た被害者の男性と女性は訴えた。

分科会⑧
「ともに生きるために〜教会とつながる実習生たちの光と影」

講師:Sr.ヌエン・ティ・バッチ・マイ(善き牧者の愛徳聖母修道会)

仙台教区で多くのベトナム人の技能実習生が働きに来ている。彼らの中には信者が多い、また、ベトナムにいる時はキリスト教を知らずに育ったが、友人が日曜日に教会に行くので、一緒にミサに参加して、キリスト教を知った人もいる。若い彼らには、1週間に1度、教会でミサに参加し、友人と出会い、楽しい時を過ごすことは、とても大切な時である。

しかし、彼らが働く会社の社長さんや上司によっては、日曜日に教会に行くのを許可してくれない人もいる。また、毎回快く許してくれないときもある。会社の中で差別される時もあるという。

シスターマイは彼らの心の支えとなっている。困ったことがあれば、出向き、話し合いをすることもある。

参加者は、シスターマイのお話しを初めて聞いて、ベトナムの技能実習生が置かれている立場がよく分かったと、シスターマイに感謝していた。

分科会⑨
「ホームレス支援活動—炊き出し25年の歩み」

講師:佐藤多鶴子(カトリック正義と平和仙台協議会炊き出しグループ代表)

炊き出しを始めて25年。北仙台教会の2人のカトリック信者の女性が、ホームレスらしい人を見かけたことがきっかけであった。その時頭に浮かんだのは、福音書のマタイ25章の42節〜45節であった。「あなた方は、私が飢えていた時に食べさせず、のどが渇いていた時に飲ませず、……」

こうして始まった炊き出しであった。第1回目は2001年10月13日(土)五橋公園で、男性が52人、女性が2人のホームレスにおにぎりとみそ汁を提供したが、お米を5升たいたが、今度からは、7升準備しなければ、と反省した。炊き出しの奉仕者は13人だった。

通年で行っている炊き出しは、1月3日—正月餅つき/毎月—夜回り、炊き出し/偲ぶ会—路上生活者で亡くなられた方々のため2008年に第1回目を行い、毎年続けている。カトリック教会から司祭と仏教の僧侶にお出でを願っている。/12月31日—年越しそばをふるまう。

カトリック正義と平和仙台協議会で炊き出し、五橋公園で食事、衣類、日用品提供。

NPO法人萠友—自立支援
2003年12月8日 NPO認可—夜回り、食事会、居所提供

9つの分科会を通し、実行に移せるヒントをもらい、最終の時を迎えた。

 

※分科会の内容は、一部プログラムから抜粋しています。

訂正:仙台教区報No.261の2ページ/10月11日のフィールドワークの説明で、「英語による解説者」は「韓国語による解説者」でした。お詫びして訂正いたします。

 

派遣の時

最後の「平和を求める派遣のミサ」の時がやってきた。日本全国の各地から、また韓国からの参加者も含め、250人の参加者の熱気に包まれ、「すべての人の救いを願い、私はあなたを待ち望む」という聖歌とともに、5人の司教たち、9人の司祭たちの入堂が始まった。

第一朗読はイザヤの預言11・1−10、福音朗読はルカ4・16−21。

説教は、大分教区司教であり社会司教委員会責任司教の森山信三司教が、「今年、2025年の聖年、日本カトリック正義と平和協議会は創立50周年を迎えました」と語りだした時から、参加者の心は一つになった感を覚えた。

続いて、森山司教は、1974年、正義と平和司教委員会と信徒の活動が一本化され、日本カトリック正義と平和協議会が発足し、翌75年に第1回正平協全国会議が東京で開催された。その時、白柳誠一大司教は次のように訴えられた。

「これまで教会は、社会問題や政治問題を考えないところがあったが、第2バチカン公会議後の教会は、体質を変えていく必要がある。特に、人間、教会は社会とのかかわりなしには存在しえない。教会が社会に関わって何か活動していくことは、本質的な事柄であり使命である」と。

正平協の50年にわたる歩みは、平和憲法を守る働き、死刑廃止に向けた動き、脱原発、沖縄基地問題など多岐にわたっている。

「ここで、特に申しあげたいのは、韓国との連帯活動です。池学淳(チ・ハクスン)司教や詩人の金芝河(キムジハ)が政府の転覆をねらっているという嫌疑で逮捕されました。日本の教会、正平協は、韓国の教会と連帯し、お二人の釈放を求めるとともに政治犯として拘束された人々の解放を求めて活動いたしました。」

これ以降、『現代世界憲章』が宣言しているとおり、人権を抑圧されている隣人のために尽くし、囚われた人々の解放のため、平和の実現のために尽くした50年だったと思う。

「第42回日本カトリック正義と平和全国集会仙台大会において、私たちは『希望は欺かない。大震災から14年、つなぐ思い、国籍を超えて歩む平和の道』というテーマのもとに3日間を過ごしました。」

14年前、東日本を襲った大地震、大津波、そして原発事故は、日本はもとより世界を動かすほどの大災害となりました。国家存亡の危機ということもできる。

「大震災当初は、歴史の大きなターニングポイントだ、経済発展のみを追求してきた私たち日本人は、今一度ライフスタイルを見直すべきだと言われました。さらに、原発事故により、安全神話は崩れ、人々はこれからの日本はどうなるのだろうかと不安におびえる毎日でした。

14年たった今はどうでしょうか。この大災害から何を学び、生き方を改善し、回心してきたでしょうか。

私たち日本人の多くは、『もっと豊かに、もっと便利に、もっと快適に』という昔の価値観に戻ってしまったのではないでしょうか。歴代の教皇がいわれているように、「科学に基づく物質的な進歩ではなく、倫理的な観点から見た進歩、神の目から見た進歩を求める生き方」に転換できたはずでした。」これがかなわなかったとするなら、それは信仰と霊的な価値
を最高のものとする私たち教会が、十分にそれを発信できなかったということだろう。

歴代教皇が、たびたび言われたことは、「橋を架ける」ということである。対立する者同士の間に橋を架ける人、天と地、神と人との間に橋を架ける人、教会の役割はそこにある。

レオ14世は、教皇選出直後に、大群衆を前にして、次のように言われた。

「私たちはどうすれば宣教的な教会になるだろうか探求しなければなりません。教会は橋を架け、対話しなければなりません。……すべての人を受け入れるために常に開かれていなければなりません」と。

私たち一人一人がより深くキリストに結ばれ、現代社会の中で預言者としての役割を果たすことができますように。そして、対立する者同士、神と人との仲介者の役割を果たすことができますように、と結ばれた。

 

2026 年度 仙台司教区 司祭派遣地

  • 仙台教区本部 教 区 長:ガクタン エドガル 司教
  • 司 教 総 代 理:小野寺 洋一
  • 教区事務局長:イグナシオ・マルティネス

太字:新任・転任

地区 ブロック 小教区 ( )は巡回教会 担当司祭 ◎印は地区長 ( )は所属 ▷は居住地

1

弘前 弘前、五所川原、黒石 小松 史朗(仙台教区) ▷弘前
青森・下北 本町、(松丘)、浪打、大湊、野辺地 李 錫/イ ソク(韓国 光州大司教区) ▷浪打
三八 八戸塩町、鮫町、十和田、(五戸)、三沢、久慈 ◎パトリック・カストロベルデ ( 淳心会 ) ▷八戸塩町
ジャスティン・ルクサ 協力司祭 ( 淳心会 ) ▷八戸塩町
髙木 健太郎 協力司祭 ( 仙台教区 ) ▷十和田

2

盛岡 四ツ家、盛岡上堂、志家 板垣 勤 ( 仙台教区 ) ▷四ツ家
岩手中部 花巻、北上、水沢 ◎マルコ・アントニオ・デ・ラ・ロサ ( グアダルペ宣教会 ) ▷水沢
岩手沿岸 遠野、宮古、釜石 堀江 節郎 ( イエズス会 ) ▷釜石

3

岩手南部 一関、千厩、築館、(新生園) 渡辺 彰宏 ( 仙台教区 ) ▷一関
三陸 気仙沼、大船渡、米川 バサ・イグナシウス・クリスティアヌス ( 神言会 ) ▷大船渡
宮城北部 古川、石巻 ◎ヴァレラ・ミゲル ( グアダルペ宣教会 ) ▷石巻 

4

仙台東部 塩釜、東仙台 ◎アンリ・バティバンガ ( 淳心会 ) ▷東仙台 
仙台西部 北仙台、西仙台  兪 鍾弼/ユ チョンピル ( ドミニコ会 ) ▷北仙台
仙台南部 一本杉、畳屋丁 ロメロ・アルマンド・ツマリワン ( 淳心会 ) ▷司教館 
カテドラル 元寺小路、八木山 イグナシオ・マルティネス ( グアダルペ宣教会 ) ▷元寺小路
氏家 和仁 協力司祭(仙台教区) ▷司祭の家
グエン・カオ・トゥリ 元寺小路ミサ協力司祭 ( エスコラピオス修道会 ) ▷元寺小路
県南 亘理、角田、大河原、白石 小野寺 洋一 ( 仙台教区 ) ▷白石

5

中通り北 松木町、(桑折)、野田町、二本松 マチアス・アントニオ ( エスコラピオス修道会 ) ▷野田町
会津 会津若松、喜多方、南会津 會津 隆司 ( 仙台教区 ) ▷会津若松
中通り南 郡山、須賀川、白河 ◎佐藤 修 ( 仙台教区 ) ▷郡山
浜通り 原町、いわき、(湯本) 幸田 和生 名誉司教 ( 東京教区 ) ▷原町
研修

申 東賓/シン ドンビン 助祭(韓国 光州大司教区) ▷元寺小路

仙台教区ベトナム人司牧担当

グエン・カオ・トゥリ ( エスコラピオス修道会 ) ▷元寺小路

協力司祭

佐々木 博 ▷第2司祭の家、高橋 昌 ▷第2司祭の家、佐藤 守也 ▷第2司祭の家、川崎 忠紀 ▷司祭の家

引退

平賀 徹夫 名誉司教 ▷司祭の家

第2司祭の家担当

氏家 和仁 ▷司祭の家

 

編集後記

今年もご復活を迎えることができました。おめでとうございます。教区のホームページはリニューアルして3
か月がすぎました。司教様からのメッセージも随時掲載しています。ぜひご利用ください。

仙台教区広報委員会では、皆様から原稿を募集しています。投稿は随時受け付けていますので、下記のアドレス
宛てにメールで添付ファイルでお送りください。手紙の場合は教区事務所宛てに郵送してください。 (関 毅)

c-hasegawa@blue.ocn.ne.jp

次号発行予定日

6 月 1 日(月) 

原稿締め切り日

4 月 19 日(日)

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