カトリック仙台司教区 Catholic Sendai Diocese

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カトリック 仙台教区報 No.264

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我が兄弟である太陽、姉妹である月

教皇レオ14世による公布「アッシジの聖フランシスコ没後800年を記念する
『聖フランシスコの特別聖年』(2026年1月10日—2027年1月10日)」を受けて

仙台教区 教区長
ガクタン エドガル司教

サン・ダミアーノ修道院(イタリア)のそばで祈る
聖フランシスコの銅像

フランシスコは脱いだ服を父に返しながら、「今日から、私は誰の子でもありません。霊から生まれ変わります」と父に告げました。アッシジの聖フランシスコの半生を描いた映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』の一場面です。聖人を良く知っている人は、映画に不正確な情報が多いと評価していると思いますが、映画を楽しむ一人として、この作品が作られた時の理想や願望が反映されていると思っています。

聖人の生活を学びたい一人として、『聖フランシスコの第一伝記』や他の伝記を読んだことがあります。前者をあらためて読んだ機会に恵まれました。財産を放棄したフランシスコは、ハンセン病を患っている人をケアし、教会建物を修復していましたが、フランシスコの信仰生活は多くの人に共感を呼び、教会に霊的再編成を起こしました。私は、そのように聖人の回心後の歩みの方向を感じます。聖霊の導きに従いつつも、主イエス・キリストの言葉に心から感銘を覚え、ますます主に近づき、真の価値あるものを見つけていった
のです。

何年か前、『The Saint and the Sultan 』(「聖人とスルタン」、発行2009年)を興味津々読みました。この本は、1219年、十字軍がエジプトのイスラム都市ダミエッタを包囲していた最中、戦線を超えたフランシスコとイスラム陣営の陣頭指揮者との話し合いを物語るのです。著者カトリック新聞記者Paul Mosesが色々な機会で二人の出会いについてこう述べます。「遠い過去の出来事を現代に当てはめる際には慎重であるべきだと考えますが、イスラム教徒にとってはスルタン・アル=カミルを、キリスト教徒にとってはフランシスコを、それぞれの模範として掲げることに大きな意義があると思います…私たちの最も偉大で愛される聖人の一人が、戦時中に敵と見なされていた人物と友誼(ゆうぎ)を築くことができたのなら、今日の私たちはイスラム教徒とも、もう少しうまくやっていけないものでしょうか」(commonwealmagazine.org)。中東戦争中、共感を呼ぶ言葉です。

1986年10月27日に行われた「アッシジ宗教者サミット」で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、仏教の指導者たちが一堂に会し、平和を祈願するとともに、暴力は宗教の真の精神と相容れないものであると明確に宣言しました。教皇ヨハネ・パウロ2世は、この集いの開催を提唱し、スルタンとフランシスコの会合の継承として評価されています。

聖フランシスコは、晩年、『太陽の賛歌』を作り、1226年10月3日、自ら願った通り地面の上に裸で横たわって、息を引き取りました。44歳か45歳でした。この臨終は父に服を返した場面と重なり、ヨブ記の言葉「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(1:21)を思い起こさせるのです。

初めてフランシスコの名を選んだ教皇は、同名の聖人から多大な影響を受けて、2015年に環境危機と社会問題を統合的に扱う回勅『ラウダート・シ』(主よ、あなたに賛美)、2020年に兄弟的な世界を築く実行可能な道を描く回勅『フラテッリ・トゥッティ』(兄弟の皆さん)を発表しました。

この聖年の間、聖フランシスコから教皇フランシスコへの継承となる回勅や聖フランシコの他の伝記を再読したり、フランシスコ修道会の教会を訪れたいと思います。

  • 教皇レオ14世 フランシスコ会家族総長への手紙 [Link]

  • 聖年に関する教令 [Link]

太陽の賛歌〈アシジの聖フランシスコの祈り〉

 

いと高い、全能の、善い主よ、

 賛美と栄光と誉れと、すべての祝福は

 あなたのものです。

 

いと高いお方よ、

 このすべては、あなただけのものです。

 だれも、あなたの御名を呼ぶに

 ふさわしくありません。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 すべての、あなたの造られたものと共に

 太陽は昼であり、

 あなたは太陽で私たちを照らされます。

 

太陽は美しく、

 偉大な光彩を放って輝き、

 いと高いお方よ、
あなたの似姿を宿しています。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 姉妹である月と星のためにあなたは、
月と星を

 天に明るく、貴く、美しく創られました。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 兄弟である風のために。

 また、空気と雲と晴天と
あらゆる天候のために

 あなたは、これらによって、

 御自分の造られたものを扶け養われます。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 姉妹である水のために

 水は、有益で謙遜、貴く、純潔です。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 兄弟である火のために。

 あなたは、火で夜を照らされます。

 火は美しく、快活で、たくましく、
力があります。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 私たちの姉妹である母なる大地のために。

 大地は、私たちを養い、治め、
さまざまの実と

 色とりどりの草花を生み出します。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 あなたへの愛のゆえに赦し
病いと苦難を堪え忍ぶ

 人々のために。

 

平和な心で堪え忍ぶ人々は、幸いです。

 その人たちは、いと高いお方よ、あなたから

 栄冠を受けるからです。

 

私の主よ、あなたは称えられますように

 私たちの姉妹である肉体の死のために。

 生きている者はだれも、

 死から逃れることができません。

 大罪のうちに死ぬ者は、不幸です。

 

あなたの、いと聖なる御旨のうちに

 いる人々は、幸いです。

 第二の死が、その人々をそこなうことは、

 ないからです。

 

私の主をほめ、称えなさい。

 主に感謝し、深くへりくだって、
主に仕えなさい。

 

(訳:石井健吾)pauline.or.jpより

 

性虐待被害者のための祈りと償いの日

四旬節第2金曜日は、私たちカトリック信者にとって、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」と定められ、この日は1日、その意向で過ごすように定められています。

仙台司教区カテドラルである元寺小路教会では、今年の3月6日がこの日にあたり、午前10時から、ガクタン エドガル司教主司式で、平賀徹夫名誉司教、イグナシオ・マルティネス神父、兪鍾弼神父、川崎忠紀神父、カオ・トゥリ神父、申 東賓助祭によってミサがささげられました。このミサには、約60人が参加しました。

ガクタン司教は説教の中で、次のように述べました。

皆さん、今日このミサを、一緒にささげる機会に、今読まれた聖書のことばの照らしを受けて、私たちの共同体の歩みについて考えてみたいと思います。

私たちの教会には光もあれば、影もあります。今日読まれた福音では、名前が書かれていない女性が出てきます。ファリサイ派の人々から「罪びと」と言われ、さげすまれていたこの女性はイエスの足に香油を注ぎ、自分の髪の毛で拭いました。この行為は理解しづらいかも知れません。なぜ「罪びと」といわれるのでしょうか。私たちも、人に同じように、ひどい言葉を言ったり、もっとひどい言葉をかけたりすることはないでしょうか。

神は私たちを愛するあまり、ひとり子を与えてくださいました。私たち人一人一人を愛し、救おうとしてくださいます。しかし、わたしたちは、その逆のことをしてしまうかもしれません。

ミサの最後は派遣で終わります。助祭が「行きましょう。主の福音を告げ知らせるために」と言います。しかし、今日は家に帰る前に、聖堂に残っていただきたい。それは、私たちの共同体について、一緒に考えたいことがあるからなのです。

私たちの共同体は完全なのでしょうか。入りたい人が入りやすい教会なのでしょうか。

私たちの共同体が光の共同体であり、光に照らされた共同体になっていきたいと思います。これから、中央協議会の子どもと女性の権利擁護デスクの担当者から話を聞くことになっています。

その前に、今日のために、日本カトリック司教団の「子どもと女性の権利擁護部門」の担当司教・森山信三司教が出されたメッセージが次のように、力強く朗読された。

「今後も、ともに、いのちの尊厳を守り抜くための努力を怠らない教会、被害を受けた方々と歩みをともにする教会、あらゆる虐待や暴力を見過ごすことなく、全ての人が安心安全のうちに歩める教会への変革を確固たるものにしていきたいと思います。」

ミサ後、カリタスジャパンと、子どもと女性の権利擁護の部門で活動なさってきた喜代永文子さんの研修会が開かれた。

まず、この「性虐待被害者のための祈りと償いの
日」を教皇フランシスコが定めたいきさつに触れ、次いで、具体的な私たちの身近なことに話を展開した。

暴力をなくすために、どうしたらいいのか。私たちは暴力をふるっていないか。そのために、まず、自分にとって、どういう時に安心と感じるのか、心理的にも安心か、を考えていった。そうして、みんなが、無意識にもっている思い込み、偏見に気づくように導かれた。私たちのもっている潜在意識から判断しているものが90%なのだと知らされた。

次に、いじめをなくすためにどうしたらいいか。私たちは個人として、全員が心理的境界線を持っている。しかし、一人ずつ、その境界線の違いがある。人によって厚くなったり薄くなったりする。子どもには、境界線はまだ形成されていない。大人が子どもに接するときには、そういうことを知っていることが大切である。

心理的に安全で、皆にそれが保たれている時は、話しやすさを感じ、助け合う心があり、新しいことを受け入れることができ、感謝する心があり、人に敬意を示すことが容易になる。

今、教会はシノダリティという言葉をよく使っているが、共に歩くという意味である。このような教会共同体になる時、相手の話をよく聞く共同体、お互いに尊重し合う共同体になる、と研修を締めくくられた。

教区広報委員 Sr.長谷川昌子

 

3.11 東日本大震災から15年を迎えて

シンポジウム:東日本大震災から15年この経験から見えてくるもの
~カトリック仙台司教区・カリタスジャパン共催~

15年を迎えた3.11、仙台教区カテドラル元寺小路教会において、13:00 から、シンポジウムが開かれ、被災された人々、支援活動に長年携わった方、約150人が参加した。

シンポジウムは、日本中のカトリック教会が支援活動のために、カリタスジャパンの協力を仰ぎ、設置した「サポートセンター」の責任者として活動された成井大介神父(現新潟教区司教)と深堀崇氏、仮設住宅での支援活動を続けておられる園部英俊氏の3人をシンポジストに招き、司会はサポートセンターで10年間奉仕した濱山麻子さんが担った。

園部英俊氏(チームカリタス仙塩・支援活動)

支援活動をしてきた今、どんなことを感じているかを話したい。仙台市内や石巻などで、「チームカリタス仙塩」として活動してきた。2011年から、月1回、仮設住宅で「お茶っこ」の活動を通して、被災者の話を聞き、手芸をしながらも、季節の七夕、コンサートなどをした。5年経った頃から、支援活動も仮設住宅から復興住宅への入居によって、それまでの人間関係が変わってきた。そこで、持続可能なコミュニティー活動を支える方向に向いた。 2017年3月から、カリタス石巻ベースでの活動が中心になった。

2021 年3月のサポートセンターが閉鎖後も「チームカリタス仙塩」は、今でもここで活動を継続している。

何を感じているかというと、今もお互いが名前で呼び合う間柄の友人関係。さらに、石巻教会の信徒の方々とも仲良くなった。「ここに集まる人々は、みんな被災者よ」という人々の大切な居場所となっており、一つのコミュニティーとなっている。ここに集まる人々の願いは、「カリタスさんがいつまでも続きますように」ということである。

深堀崇(たかし)氏(元カリタス大船渡ベース長)

カリタス大船渡ベースは、大阪高松教会管区が携わっているベースである。

2011 年、当時は大阪教会管区と言っていたが、岩手県南部の被災地での活動を始めることで、信徒と司祭が一緒になって、どこにベースを造るのかを捜すことから始めた。大船渡教会の司祭、信者さんが助けてくださった。

こうして、災害地で、地域コミュニティーを支えるベースができた。私たちは皆さんから「カリタスさん」と呼ばれ、被災された方々の「お隣さん」になっていった。ベースに立ち寄ってくださり、世間話をして帰る。いつでも寄っていいのだという感じでつながったのである。

大船渡ベースは、教会への坂道の足元にあり、その丘の上には、教会と幼稚園があった。そのカトリック教会と幼稚園が築いてこられた信頼関係があった。その土台があったので、支援する側、される側の立場ではなく、友人を訪ねていくような気持ちで訪ねていくことができた。

今、この大船渡ベースは閉鎖したが、震災は次々に襲ってくる。CJ ERST(カリタスジャパン 緊急対応支援チーム)が教会の中に作られ、私もメンバーの一員として、能登半島の地震の際には、現地入りをした。そこでも感じたことは、現地の教会がそこにあり、根付いていることである。現在ボランティアに来てくださっている人のほとんどは、3.11で一緒に支援活動をしていた人だったことを知って、うれしかった。

そして、今見えてくるものは、震災は現在だ、過去ではないということだ。震災は今も私たちに語りかけている。教会は希望のしるしであった。日々のつながりがあったからこそ、震災が起こった時に役立った、という体験を今もしている。

成井大介司教(元サポートセンター責任者)

東日本大震災 15年後の今日、元寺小路教会にこうして集い、当時の雰囲気を味わいながら一緒に考えることができることを感謝している。

カトリック教会の震災対応の仕組みは、一般社会の仕みと全然違う。普通、支援団体は半年から1年で、帰ってしまう。初めに目的を定め、活動する。計画通りに進むと、目的が達成されたとして、帰ってしまう。しかし、カトリック教会はどこの地方にもある。カトリック教会は被災者として、当事者として、その地に生き続けることがカトリック教会の信頼を得る対応であると思う。いつでも、カトリック教会の支援の対象の中心は被災者である。その中で生き続けることがカリタスである。20年、30年たっても、そこに生き続けることが、カトリックの被災者対応である。そうなると、支援する側とされる側ということがなくなり、共に生きる者となる。そこが大きな違いである。

それをよりよく行っていくために、東日本大震災の時、オールジャパン体制で、各教会管区として被災地を支援するようになっていった。

能登半島地震・輪島市の大規模火災に際しても、地域に寄り添う、地域に生き続けるものとしての私たちの姿があった。

教会は大きく変わった。今ボランティアの人々は非常に少ない。どんなに情報を流しても、1週間に2人くらいである。普段からの活動も高齢化した人々が中心である。海外出身の方々とうまく共同体ができていない。愛の奉仕が地域のためにできるようになっているだろうか。このような教会の変化に伴い、ボランティアの在り方も変化しなければならない。震災対応を真剣に考えていかなければならない。

質疑の時間

福島から参加の女性

「愛の支援グループ」として、原発事故で避難した仮設住宅の人々と心のつながりをもって、支援活動を続けてきた。まだ、愛の支援グループは続けている。お話しを聞いて、日々の備えの必要を感じた。

園部英俊氏

火を消さないように、情報交換などをする必要がある。私も、「チームカリタス仙塩」に行き、今日もよかったと思う。教会にそのことを伝えなければならない。その努力をあきらめないことが大切だと思う。

成井大介司教

私は今日の午前中、南三陸でワカメの仕分けのボランティア活動をしてきた。ここの漁師さんたちは「てんでんこ」(地震・津波の時は、てんでんばらばらに、急いで早く逃げよ、という言葉)を守り、いのちを守ってきた。私たちも、15年前に経験した教会の「愛の奉仕」を伝えていかなければならない。積み上げていくことが必要である。

横浜から参加の女性

今日のお話しで、ERSTの必要性を痛感した。研修会に参加したいが、どうしたらよいか。

深堀崇氏

研修会は、横浜教区で責任者の神父様と担当の人に行った。南海トラフのこともあるので、1年に3つの教会を回ることになっている。南海トラフの時、どうするか、それをどう伝えていくかなどの研修である。

 

最後に、シンポジスト 3 人の感想を一言ずつ発言

  • 3 人とも、打ち合わせなかったが、結局、同じことを話していた。
  • 支援する側、支援される側からの解放。
  • 地域に密着した教会の存在。
  • 共に生きることを大切にする。
  • 教会があり、幼稚園がある時は、信頼関係があり、関係がスムーズである。
  • 一緒になって心を開き交わる時、ボランティアは交わりやすい。
  • 高校生のボランティアは、「おばあちゃんちに来て いるみたい」とお茶っこで感じていた。そのような場ができていることは素晴らしい。

 

3.11東日本大震災 犠牲者追悼・復興祈願ミサ
~ともに 復興をめざして~

仙台教区カテドラル元寺小路教会に約150人が東日本大震災の被災者や亡くなられた方々をしのび、祈っている間、追悼・復興祈願ミサの司式者が静かに入堂し、それぞれの席についた。地震が発生した14時46分を知らせる鐘が静寂さの中に鳴り響き、全員で黙祷をささげた。

ガクタン エドガル司教、成井大介司教、平賀徹夫名誉司教、イグナシオ・マルティネス神父、申 東賓助祭が、祭壇上に立つ。他の司祭たち8人と共に共同司式のミサが始まる。

主司式はガクタン司教で、「東日本大震災から 15年を迎えるにあたり、思いを同じくするすべての人と心を合わせて、犠牲となった方々を偲び、慰めと希望、そして復興に向けての知恵と勇気を求めて、この感謝の祭儀をささげましょう」と挨拶してミサが始まった。

ことばの典礼に入り、第一朗読では、哀歌3:17~26 が読まれ、マタイによる福音25:31~ 46が朗読された。

福音朗読の後、成井司教が以下のように説教した。

今日は祈りの日です。仙台教区のさまざまなところだけではなく、日本各地で、世界で15年前のことを思って祈っておられます。こちらでは、司教を含む何人かの人々で祈っています。私は、皆様の隣人教区の司教として、カリタスジャパンの司教として感謝を申しあげます。

この15年の間にいろいろなことがありました。

2021 年、コロナの最中で、何もできませんでした。

2022年、3.11を祈念する2週間前に、ロシアがウクライナを攻撃し始めました。

2023年、イスラエルがガザを中心に軍事攻撃を始めました。

2024年、1月1日、能登半島の大地震がありました。

2025年、トランプ大統領が就任して、世界の仕組みが変わりました。教皇フランシスコが帰天され、レオ14世が教皇位につかれました。

私たちは、東日本大震災の間、「想定外」という言葉を何度も聞きました。しかし、振り返ってみると想定できないことが毎年起きています。信じられないということが、毎年起こり、拡大しています。そしてそれに慣れて、それが「普通の世界」になっています。戦争があるのが、普通の世界に。

イエスがエルサレムで最後に捕らえられる日の、最後を前にしてイエスが語った言葉です。おそらく、自分の弟子たちのもとを離れていく前にどうしてもこれを伝えたいと言うイエスの思いがこれです。

私にしたこと――イエスがそれらの人々と共におられるということです――東日本大震災の時、そういうことを肌で感じられたのではないでしょうか。希望も失いかけた時、神がその人と共におられることを感じたのではないでしょうか。

能登の地震の時も、東日本大震災の時にベース長として活躍していた人々が、被災者と共に必死で働いた。近所の人々が支え合って、1日も早く幼稚園を再開しようとしていたお母さんたちがいた。しかし、その9か月後に水害が起こり,心が折れたと漏らしていた。

輪島である人と話していた。その人の中学生のお嬢さんが福井の海で見つかって帰ってきたところであった。「神も仏もない」と言っていた、まさにこの人と共に神はおられる、苦しんでおられるその人の中にいる神が、私に「祈りなさいと言いなさい」とおっしゃるのを感じた。私は、神はいつも共にいることを強調したくて、神は光として、ご自分の姿を現わせない時も、いつも共にいるのだと言った。

この世界は全てが互いにつながっている。教皇フランシスコが出された『ラウダート・シ』が、私たちに言う。全てのいのちが互いに生かし合っている
ことを信じている。

あるものを食べて、食べられて、という食物連鎖だけでなく、コロナの株であっても、わたしは新しいことが見つかって、数週間後には日本にも来ると思っていた。マスクをすることすら知らない、その習慣すらない人々が、私たちのマスクをする習慣などが、世界中に伝わっていく。

同様に人を大切にする心、どんなにささやかでも相手を思いやる愛が人に伝わり、広がっていくのである。少しずつ、社会を変えていくと思った。

苦しみのただなかにある私たちに、世界から優しさが寄せられた。それは、私たちだけにとどまらず、日本各地に広がって、東日本から世界に広がっていくと思う。

15年前、互いに「あなたは大丈夫ですか」と聞いた。その全力でいのちを大切にする思いは、全力で伝え続けなければならないことだと思う。

暴力で世界を変えていくのが当然ということに舵を切っている世界に、今私たちはこの世界に愛を伝えていく神が、あなたと共にいる。一緒に歩いて行こう、こういう思いをもって、私たちは「主は皆さんと共に」「またあなたと共に」とミサで言い、愛をもって生きていきたいと思う。

共同祈願では、東日本大震災で亡くなられた方々、いまだに行方不明の方々、福島第一原発事故で、故郷を離れて暮らす人々、風評被害で苦しむ人々、その後の震災被害で苦しむ人々。全世界平和と和解のために、心を合わせて祈りをささげた。

感謝の典礼で、聖体を拝領し、最後に全員で「希望の灯(あかり)」を歌い感謝の祭儀は終わった。

その後、各地から来られた懐かしい人々が、成井司教様と語り合う姿などが、あちこちで見られ、名残を惜しんでいた。

教区広報委員 Sr. 長谷川 昌子

 

聖香油ミサ
司祭叙階の誓いを更新 / 聖香油の聖別と祝福

仙台地方の天気予報では、雨と予想されていたが、幸いなことに小雨から、曇りとなり仙台司教区カテドラルには、午後1時頃からミサに参列したいと、仙台市内の教会、宮城県内の教会は言うに及ばず、弘前や八戸、福島野田町、松木町、白河などの各教会から200人以上の信徒が明るい陽射しの下に集まって来た。

午後1時半、静まり返った聖堂に、香炉を持つ侍者たちをはじめ、助祭、司祭団23人、続いて平賀徹夫名誉司教、幸田和生名誉司教、ガクタン エドガル司教が荘厳に入堂し、聖香油のミサが始まった。

ことばの典礼で、イザヤの預言、ヨハネの黙示が朗読されたのち、ルカ 4:16-21が朗読された。ガクタン司教は説教の中で、聖香油ミサの二つの特徴を述べ、参加者を引き付けた。

第1の特徴は、司祭たちが叙階の誓いを更新することである。それは、司教が質問することに、司祭たちが「望みます」と答えることによって、司祭叙階の誓いを更新することを表すものである。

第2の特徴は、聖香油の祝福・聖別である。この油は、洗礼を受ける者への聖油、病者のための聖油、堅信を受ける者への聖油、そして、司祭叙階の時、司教叙階の時に手や頭に塗られる聖香油である。

この3種の聖油は、洗礼を受ける志願者に活力を与え、彼らが神の力に照らされて、より深くキリストの福音を理解し、キリスト教的生活をふさわしく歩めるように祈りながら祝福されるもの。病者の聖油は、この油を受ける人が身体・魂・精神において慰めを受け、病や苦しみから解放されるようにと祈りながら祝福されるもの。最後に行われる司祭叙階や司教叙階の時に手や頭に塗られる聖香油が聖別される。

このミサの中で歌われる詩編も朗読される聖書の箇所もみな、この油に関係するところが読まれている。この聖香油ミサは、私たち人間から始まるのではなく、御父に油を注がれ、聖霊に満たされた主イエス・キリストから始まるのである。

この後、司教は教皇フランシスコの言葉、「宣教をキリストのみ心から愛が輝きわたることと理解するならば、宣教にはキリストに魅了され、キリストに恋い焦がれた宣教者が必要となります」を紹介し、司祭として、何よりもキリストに魅了される者であることが、一番大切なことで、これがあれば、その司祭に接する人々は、皆キリストと出会うことができるのであろうと述べた。

信仰の旅路において、私たちはますますキリストに魅せられ、キリストに似た者となり、私たちを通して、キリストの光が、この世に燃え上がりますように、と説教が終わった。

説教の後すぐに、司祭の叙階の誓いの更新が行われた。

「親愛なる皆さん、かつて司教と神の聖なる民の前で取り交わした約束を更新することを望みますか。」

 

「司祭に叙せられた日、キリストの愛に励まされて自己をささげつつ聖なる務めを果たすことを教会の前で約束なさいましたが、今もキリストに固く結ばれ、喜んでその努めを果たすことを望みますか。」

 

「聖なる感謝の祭儀であるミサ聖祭や他の典礼の執行、神の民を教え導くという聖なる務めを通して、神の奥義の忠実な分配者であること、また、頭であり、牧者であるキリストにならって、この世の財宝を望まず、ただひたすらキリストの救いの業の完成のために働くことを望みますか。」

このそれぞれの「望みますか」という重い問いに、司祭たちが一致して、力強く、「望みます」と答えた。
司祭団が「望みます」と声を合わせて応えるこの姿を見、力強さを感じたと多くの参列者は感激していた。

次いで、今度は、司教は私たち会衆に向かって、司祭と司教のために「祈りましょう」と呼び掛け、これに対して、出席者は、全員がはっきりと「主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください」と祈った。

感謝の典礼に入り、聖変化の後、「喜びの聖なる油」の聖歌を全員で歌う中、「病者の油」(水色の布を掛けた壺)、「洗礼志願者の油」(赤色の布を掛けた壺)、「聖香油の油」(白色の布を掛けた壺)を持った3人の司祭たちが行列し、奉納した。

主の祈りを唱える前、病者の油の祝福が行われた。

聖体拝領が行われた後、洗礼志願者の油の祝福が祈られ、次に、香油の聖別が行われた。まず、香油の壺の口が開けられ、そこに、香料のバルサムを注いで、香油と混ぜ合わせ、祈りに続いて、司教が、いのちを与え聖化する聖霊の息吹を象徴する息を吹き込まれた。

この後、参列している司祭たちは立ち上がり、香油に向かって右手を差し伸べて祈りをささげた。

こうして荘厳に聖香油ミサが滞りなく終わり、最後の祝福を受ける前に、司教総代理の小野寺洋一神父が、参加した皆様に、ここに参列しております、司祭をご紹介いたします、と述べ、北の第1地区の司祭たちから順に、一人一人お名前を呼ぶとその座席から立ち上がり、手を振る人、頭を下げる人、さまざまな動作でこたえたが、信者たちは大喜びで拍手して共に出会いを喜び合い、素晴らしい聖香油のミサの締めくくりとなった。

最後に、司教様から祝福をうけ、名残りをおしみながら散会した。

この後、各司祭たちは、洗礼、病者、聖香油の入った小さな容器にわけられたものを各小教区にもって帰ることとなっている。

教区広報委員 Sr. 長谷川 昌子

仙台教区で活動する司教司祭が聖香油のミサをささげた

 

各地区からのお便り

第1地区より

〈青森下北ブロック/浪打教会〉
四旬節の黙想

青森は今冬も豪雪でした。厳しい寒さの中、2月28日・3月14日、本町・浪打教会において李錫神父様の導きのもと四旬節の講話と聖体賛美式が行われました。

講話は、聖母被昇天修道会 Sr.マリア・ノエル小山内牧子(おさないまきこ)様が、ご自身の体験から、一人の人間を通して、ご自分の方へ導かれる方インマヌエルの神に感謝できる機会にできたらと、祈りのうちにお話くださいました。

①聖母被昇天修道会は、1853年カナダ・ニコレットで、福音を生きるため、特に貧しい人々へのキリスト教教育に献身する目的で創立された。この修道会へ、いかに主に導かれて会員となったか。御自身の神秘的摂理的な召命の御体験。

②同会は、教会の使命と同会の使命を果たすため「希望で燃え立つ一つの心」のテーマのもと「希望の証人よ、道に沿って歩もう」と目標を掲げ、マリアのフィアットができるよう、全世界の会員が総力をあげて祈り、力を尽くしている。

③教会の信者と共に祈り祈られ、支え合い絆も信仰も深められる。教会共同体の霊的信仰生活は、絆を深めシノダリティを生きること、共にミサにあずかる、喜びを伝える仲間となる、教会での出会い、ロザリオ・十字架の道行などを共に祈る、体験を分かち合い、伝える、祈りを約束することが大切。

「ほほえみの価値」:ほほえみは家庭に平和をもたらし、仕事の支え、友情のしるしとなる。疲れた人に休息を与え、失望している人を勇気づけ、悲しむ人を自然にいやす(ファーベル)。

いつも明るくほほえむシスターが、全身全霊で真摯(しんし)に神様と私たちに向き合ってお話しされる御姿は、私たちに明の星聖マリア様に倣って生きるよう模範を示してくださいました。「恐れることはない。あなたは神の恵みを受けている。神は何一つおできにならないことはない」。「お言葉どおり、この身になりますように」。

沈黙は神様と共にいる時間と李神父様は教えてくださいました。今回の黙想を通じて、いつも共にいてくださるインマヌエルである神様へ賛美と感謝をおささげする機会を賜りました。ご準備された聖母被昇天修道会と教会共同体の皆様へ心より感謝を申し上げます。私たち青森の教会共同体も聖週間を過ごし、復活を祝い、感謝と希望のうちに、美しい桜で彩られた平和の春を迎えております。

松田 大(浪打教会)

〈三八ブロック/八戸塩町教会・鮫町教会〉
合同四旬節黙想会を開催

大阪高松大司教区の高山徹(あきら)神父様を講師にお迎えして、3月28日(土)、29日(日)に、2026年度八戸塩町・鮫町両教会合同の四旬節黙想会を開催しました。

鮫町教会の前田さんが司会で、八戸塩町教会の福島さんから講師の紹介をしていただきました。

高山神父様は、16年前の司祭になる前に1年間、八戸聖ウルスラ学院で英語の教鞭をとっておられ、その後司祭に叙階された方です。「『復活されたキリストに出会う』一人ひとりの召し出しを生きる」をテーマに、呼吸法、「あなたに愛されて」・「父よゆだねます」の歌、司祭になってからのご自身の歩みを話してくださり、振り返りシート作成、シノドス最終文書、マルティーニ枢機卿の言葉、自分を捧げる祈り、黙想の手がかりなどお話があり、十字架の道行きを黙想して締めくくられました。

お礼の言葉は、鮫町教会の齋藤明さんから述べていただきました。

ミサの後の茶話会で、高山神父様を囲んでみんなで懇談し、神父様はぜひまた八戸に来たいとおっしゃっていました。

高山神父様、ありがとうございます。

八戸塩町教会の金子恭子さんから、「神様に心を向けて」と題して塩町教会便りに寄稿していただきました。要約した一部を紹介します。

私にとって、自分自身と神様との関係を静かに見つめ直す、かけがえのない恵みの時となり、日々の慌ただしさの中では気づきにくい、神様のやさしいまなざしを改めて感じる時間でした。特に心に残ったのは、「あなたのかわりは誰もいない。遅くても、鈍くても、自分らしく誠実に歩むことが大事」という言葉です。

牧山 智廣(八戸塩町教会)

第4地区より

〈仙台西部ブロック/西仙台教会〉
カトリック西仙台教会献堂60周年
記念ミサ・祝賀会

西仙台教会は1908(明治41)年に角五郎丁教会(北五十人町教会)として発足し、1966年に角五郎丁から現在の八幡町(国見)に移転、4月17日に献堂式を挙げました。

今年 2026 年はその献堂式から 60 年目の節目の年となります。献堂 60 年を祝う記念ミサを3月15日にガクタン エドガル司教様・兪 鍾弼神父様の共同司式で、さらに申 東賓助祭様も加わって挙げていただきました。ミサの中では共に祈ってきた兄弟の洗礼式もあり、二重の喜びに包まれました。

ミサの後には司教様にもご臨席頂き、教会ホールにてささやかな祝賀会を催しました。そのなかでは60年前を知る方たちから移転時の、信徒数も多く、特に青年の活動が活発だったことが語られるなど、和やかに過ごすことができました。今回記念号として発行した機関誌「ほしかげ」の中にも移転当時の青年の活動や教会学校の様子が表されています。

残念ながらここ数年は信者数が半減し、普段のミサの参加者は20人前後ですが、当日は50人近くの方がミサにあずかり、その後の祝賀会にも40人ほどが参加されました。高齢であったり、何らかの事情でなかなかミサにあずかることができない人が増えている現実があるものの、多くの人に愛され、大事に思われている教会なのだと実感することができました。

60年前に比べるとすっかり小さくなった教会ですが、過去を懐かしむだけではなく、一人一人のつながりを大事にして小ささを活かした教会を大切にしていきたいと思っています。

高山 昭子(西仙台教会)

〈カテドラルブロック/元寺小路教会〉
ご復活に9人の方が受洗されました

4月4日(土)カテドラルで復活の聖なる徹夜祭が行われ、6人の方の洗礼式と初聖体が行われました。最初にガクタン エドガル司教による火の祝福が行われましたが、あいにくの雨のため、受洗者と代父・母が行列に参加しました。申 東賓助祭は復活のローソクの火を掲げながら、「キリストの光」と歌い上げ、聖堂内がろうそくのあかりで包まれました。

ガクタン司教は、説教の後、6人の方の頭に水を注ぎ、洗礼を授けました。続いての初聖体では両形態(ご聖体とぶどう酒)で拝領しました。

翌4月5日(日)復活の主日のミサの中で、3人のお子様がガクタン司教から洗礼を授けられました。一番小さな赤ちゃんの可愛い泣き声が微笑ましく、3人のお子様への神様のお恵みを祈りました。

関 毅(元寺小路教会)

第5地区より

〈中通り南ブロック/郡山教会〉
新しい信仰の交わりの場
新司祭館・信徒館竣工

禁教令が解かれてから十数年後、福島県にはフランス系カナダ人の神父様たちが入り、宣教活動を始めました。1886年、ラフォン神父様によって郡山に近代のカトリックが根を下ろしました。当時の神父様たちは、中通りから会津をはじめ、宮城県の南部まで、酷暑の夏も極寒の冬も宣教活動に徒歩で東奔西走し、文字通り席の温まる暇も無かった活躍ぶり
でした。

そのような神父様方や信徒の尽力と、海外信徒の支援を得て、1960年、郡山教会の聖堂や司祭館、伝道館(集会所)が建設されました。しかしながら、そのような建物も老朽化は避けられず、東日本大震災後、新しい建物の話が持ち上がりました。2019年、建物検討委員会が発足し、年末には、司祭館と伝道館(集会所)の建て替えが提案されました。その後、建設準備委員会と名称が変わり、2023年、ついに司祭館・信徒館建設委員会が立ち上がりました。

建設委員会では建築の専門家の定期的な指導を受けながら話し合いを進めました。設計業者の選定についてはプロポーザル方式を取り、極めて客観性の高い選定ができました。

そして、一昨年、60有余年にわたって主の心に集う人々を支えた司祭館と伝道館(集会所)が取り壊され、昨年早春から新築工事が始まり、12月には新しい司祭館・信徒館が竣工を迎えました。総面積348平方メートルで、総工費は1億6000万円。その4分の3は教会のこれまでの積立金と信徒の献金や各方面からの寄付金で賄いました。

設計者の、教会や信徒の心をよく考えられた設計に基づきながら、信徒の立場や思いを忠実にかなえようとする施工者のお仕事ぶりは、私たちの目にもはっきりとわかる、極めて良心的なものでした。日に日に形が見えてきて、楽しみと希望がふくらんでゆきました。

完成した建物は、一階が集会室、事務室、会議室、キッチンなどで、二階が司祭館になっています。集会室は、聖堂が何らかの工事でミサができなくなったときなどに、ミサができるように、椅子を入れても百席以上を確保できる広さを持っています。キッチンはパントリーを含めて、17畳ほどの広さですが、集会室に集まる人々に十分食事などが提供できる機能を持っています。

最近はどこの教会も外国出身の信徒さんが増えていますが、郡山教会も例外ではなく、ミサの中でも多言語が飛び交い、ミサが終わると、新しい信徒館がカフェルームとなり、ベトナム語、タガログ語、英語、そして日本語と、さまざまな言語での話題に花が咲いています。

司祭館についても一言申し上げれば、現在、郡山教会の担当司祭は1人ですが、司祭が常時2人は生活できるようになっていて、かつ、ゲストルームがあり、他の聖職者などが訪れた場合にも、宿泊できるようになっています。

郡山は地理的には福島県の中央に位置しており、会津や浜通りからも1~2時間で来られるので、県全体を単位とするカトリックの事業等についても、この信徒館の利用価値が高いと言えます。

カトリック郡山教会140年の歴史に培われた心を糧に、この建物に集う私たちが、一層の主の恵みと導きによってさらに歩み続けることができますように。

カトリック郡山教会
新司祭館・信徒館建設委員会委員長
佐藤 大

〈中通り北ブロック/野田町教会〉
ビシタ・イグレシア
ー四旬節を迎えるための祈りの巡礼

2月23日、フィリピンの四旬節の伝統を行うというささやかな計画から始まり、私たちが一つの教会家族に属していることを改めて感じさせてくれる、信仰の旅となりました。

アントニオ・マティアス神父の導きのもと、カトリック野田町教会の主催で行われた「ビシタ・イグレシア」に、フィリピン人39人、日本人10人、ポルトガル人1人、合わせて50人が参加し、7つの教会を巡礼しました。これは、「ビシタ・イグレシア」という名称で大切に受け継がれてきたフィリピンの四旬節の信心が、仙台教区の小教区共同体に紹介された初めての機会となりました。

仙台教区信徒宣教者
クラリータ・サンチェス

信徒のつぶやき

東北キリシタン研究会 第10回公開講座
後藤寿庵と書簡
ー奉答書からイエズス会報告書までーを受講して

昨年の聖年には、多くの信徒が広瀬川や大籠など、約400年前の殉教地に足を運んだ。その先人の命懸けの信仰の歴史を、史実から見つめ直す公開講座が2026年2月21日(土)に行われた。 東北キリシタン研究会の主催(仙台白百合女子大学カトリック研究所後援)で仙台市民活動サポートセンターを会場として開かれ、今回で10回目となる講座は、安彦公一氏(肝江日日新聞社編集顧問、特定非営利法人奥州おもしろ学理事長)が「後藤寿庵と書簡-奉答書からイエズス会報告書まで-」と題して講演した。

会場には 40名程度が集ったほか、Zoomによるオンライン聴講も同時に行われた。聴衆は熱心に聞き入り、質疑応答も行われた。現在の岩手県奥州市水沢福原の約400年前の領主でキリシタンの後藤寿庵は、独自の西洋土木技術で「寿庵堰」を開削した功績にもかかわらず、その出自さえも不明で諸説ある。講演では、当時の書簡資料に基づいて史実を追求する安彦先生の姿勢が印象的だった。以下に講演の要旨を紹介する。

後藤寿庵とは何者か

仙台市市史などの記載は約400年前の書簡を根拠とするが、原典はポルトガル語の古語のため孫引きも多い等、学問的な議論が続いている。例えば、寿庵は藤沢城主岩淵氏の子息で、五島で受洗、その地の領主に倣い平姓後藤を名乗った説、あるいは苛烈さを増すキリシタン弾圧下の秋田で「大眼宗」を興した説などがあるが、いずれも論拠が希薄。

書簡による確かな史実

①寿庵は1611年に伊達政宗に臣従し、1624年まで活躍 ②政宗の慶長遣欧使節団(支倉常長ら)の派遣計画の際に、使節の正使ソテロ(注:フランシスコ会神父・福者で、政宗が江戸の獄中から嘆願助命した)は、メキシコに加えてローマとスペインの両方に行くと主張し、寿庵が政宗に進言して許可された。アンジェリス(イエズス会神父)書簡には寿庵の名前が度々登場し、寿庵がこの慶長遣欧使節団の派遣準備の取り仕切りという大役を担ったことが判る。


その他、質疑応答を含めて以下が話された。

  • 東北キリシタンによる「奉答書」(注:当時の教皇からの日本の信徒を励ます書簡に対する返書)は、フィレンツェのドミニコ会の教会が一通、バチカン図書館が二通所有するが、寿庵には「諱(いみな)」がなく「寿庵(ポルトガル語のヨハネの音写)」の花押がある。
  • 一部の「言上書」(注:当時の教皇などに宛てた日本信徒の書簡)には、寿庵の諱がある可能性があり、その検証は寿庵の人物像に迫るので今後の研究に期待。
  • 寿庵とカルヴァーリョ神父(イエズス会)は、福原で共にクリスマスをミサで祝った後、寿庵は行方不明になり、カルヴァーリョ神父は下嵐江(おろせ)の鉱山で捕縛され広瀬川に連行され殉教。
  • 仙台領の弾圧初期に水沢の夫婦が殉教したが、街道沿いで公開処刑され500人近い信徒が見守った。アンジェリス書簡に、この遺体は寿庵の知行地にあった教会の祭壇下に埋葬とある。2020 年、「教会跡」とされる毘沙門堂(メダイ発見などが根拠)を発掘調査した結果、殉教者の遺骨などは見つからなかった。
  • 仙台領での信徒の処刑について、フランシスコ会、イエズス会の神父が多数の書簡を残したが、処刑人数など、両者には隔たりがある。
  • 書簡によると、寿庵が去った後、前領主の寿庵は福原の税を4割引にしたが同様にはできない、など、横沢将監(転宗した元キリシタン)が後始末に追われた。また寿庵は「寿庵堰」造成費の借金を、逃亡先から小者を通して債権者に返済している。
  • キリシタン本人の他に類族(七世までの親族)も取締りの対象になり、弾圧は何世代も続いた。

最後に、なぜ後藤寿庵を研究しているのかという質問を受けて、安彦先生は「自分は現代文学の出身で当初は横沢将監を追っていたが、彼を困らせた寿庵を調べるうちに、その歴史的に壮大な人物像に魅了された」と話した。歴史に刻まれた信仰者、殉教者の痕跡を聴くことは現代の私たちの信仰を見つめ直す静かな励ましとなった。

飯島 薫(一本杉教会)

カリタス南相馬からのレポート
東日本大震災・原発事故から15年

カリタス南相馬(旧原町ベース)は、福島第一原発から25㎞に位置しています。震災後、仙台教区内に数か所ボランティアベースが立ち上がりますが、原町ベースは、1年遅れて 2012 年6月に開所されボランティアの受け入れ拠点となりました。隣接するカトリック原町教会は、カトリック施設の中では原発から最も近い教会です。地震、津波、原発事故という複合災害に見舞われたこの地域に長期にわたって復興支援活動を継続するために、2019年には一般社団法人カリタス南相馬として設立し今日に至っています。

震災後は、主に原発から20km圏内の被災家屋の片付けや仮設住宅における安否確認やサロンでの傾聴活動が主でしたが、被災地のニーズは徐々に変化しており、その都度活動内容も変化しています。原発事故により避難を長期にわたって余儀なくされ、帰還されたのは3割ほどで半数以上が高齢者世帯というコミュニティを支えるためのサロン活動や戸別訪問、また4年前に起きた福島県沖地震による災害ボランティア活動を継続する中で社会福祉協議会とは災害協定も結ぶことができました。現在は、地域コミュニティ作りの支援や子育て応援なども行いながら、原発事故による放射線災害後の福島の現状を伝えるための現地案内にも力を入れています。

今年3.11には、カトリック原町教会で幸田和生名誉司教様司式による追悼ミサが行われ、祭壇前の3.11と描かれた場所にひとりひとり小さなロウソクを置き、祈りをささげました。午後には曹洞宗同慶寺に場所を移し、合同慰霊法要に参加しました。田中住職が地震の起きた午後2時 46 分に合わせて鐘を鳴らした後、それぞれの宗派の祈りをささげて犠牲に合われた被災者のために祈りました。前日の10日には、日本山妙法寺主催の「いのちの行進」に参加。同慶寺から請戸浜までの約20kmの道のりを祈りながら歩き、慰霊碑の前でお線香をあげた後、それぞれの宗派の祈りをささげました。毎年、宗教の壁を越えて被災地の為に祈るこの行事に参加する方は増えていて今年は海外からの参加もありました。20kmは大変長い道のりですが、一歩でも二歩でもこの被災地を祈りながら歩くことは大変意義深いことだと感じています。

15日には、「いのちの光3.15フクシマ」に参加。田中住職の講演の後、幸田名誉司教様司式でミサが行われ、その後の茶話会にも多くの方々が参加して原発事故後の避難の様子や平和について学ぶ機会となりました。幸田名誉司教様と田中住職のお話から、平和を守るために声を上げ続けること、そして今自分にできることは何なのかを問い続けることの大切さを学びました。神に感謝。

一般社団法人カリタス南相馬
所長 根本 摩利

編集後記

東日本大震災のシンポジウムに参加して、私たちはこれからも忘れることなく、お伝え続けることが広報の役目の一つだと考えさせられました。また、この教区報が発行される頃には平和が訪れていることを祈っています。

仙台教区広報委員会では、皆様から原稿を募集しています。投稿は随時受け付けていますので、下記のアドレス宛てにメールで添付ファイルでお送りください。手紙の場合は教区事務所宛てに郵送してください。(関 毅)

c-hasegawa@blue.ocn.ne.jp

次号発行予定日

08月01日(土)

原稿締め切り日

06月21日(日)

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